今回の目的のひとつだった
韓国新幹線こと“KTX”


 2005,5,23〜5,25…ソウル(大韓民国)



  2005年5月(プロローグ)

 ※今回の海外日記は、かなりマニア的な話しになっています。そして長いです。恐らく鉄道や旅客機に興味がない方 には、意味がわからない箇所が多数あると思いますが、あまり気にせず、見てやって下さい。

 前回ソウルに行ったのがだいたい1ヶ月前。楽しかったといえば楽しかったが、私にとっては少し消化不良なところ があった。それは“電車にあまり乗れなかった”…ということである。
 前回、帰国日の朝方にソウルの電車に乗ることで、私はすっかり韓国の鉄道に魅入られてしまったようだ。韓国の鉄道は日本のと結構 似ている部分があるため、親近感でも覚えたのであろうか。とにかく前回韓国から帰ってきてというもの、日に日に韓国へ行きたい(鉄道 に乗りにであるが)という思いが強まってきてしまっていた。そして今月、スケジュールにたまたま3日間の空きができた。この偶然の 空きを使わないわけにはいかない。ということで旅行会社に早速電話。安い航空券も見つかり即購入。宿もネットで安いのを探し予約。 出発の5日ぐらい前のことだったが、韓国に行く準備はとんとん拍子に整ってしまった。

  2005年5月23日(1日目)

 今回はひとり旅である。実は25年間生きてきて、初めてのひとり海外旅行となる。だが、少しも不安なところは なかった。むしろ私ひとりだけなので、どれだけ自由な行動が可能なのかと思うと、どうしても嬉しさが込み上がってくる。昔私は日本 国内中の鉄道にひとりで乗りまくっていたが、感覚としてはあの時に近い気がする。最近は電車に乗りに行くというのも少なくなって しまった。これは何も電車が嫌いになったわけではなく、日本で気軽に行ける場所の路線はもうほとんど乗ってしまったから…という 理由に過ぎない。だが、今回は韓国はソウル。知らない国、知らない路線だらけだ。これほどワクワクすることが他にあるだろうか。

 さて、5月23日の昼13:30、私は成田空港にいた。今回の飛行機はお馴染みアシアナ航空のOZ103便で、成田発が 15:25となっている。通常国際線に乗るときには、空港に2時間前に着くのが良いとされているので、まずまずの時間だ。早速チケット カウンターを探しチェックイン。預け荷物も無いので(今回はポーチとリュックのみの軽装で来た)1分足らずで手続きは終わって しまった。なんという早業。いつも私はツアーで海外に行くことが多かったのだが、今回は航空券のみ(宿はネットで自分で手配)だった ため、やたら手続きが早く済んでしまったのだ。これが個人旅行の良いところだ。普通、ツアーの場合のチェックインだと。まずどこどこ の旅行会社カウンターで航空券を発行。「全員揃ってますかぁ〜」とか何とか言われ、航空券の説明を始める。そして、現地に着いたとき のガイドの居場所やら何やらの説明も行われ、改めて航空会社のカウンターでチェックイン(預け荷物もこのとき行われる)…という手筈 になる。しかし個人旅行の場合、航空券を発行してもらうだけで終了だ(当たり前だが…)。ツアーに慣れた身にとっては、この一連の 流れは気持ち良かった。その分出発までの約2時間、暇を持て余してしまうことになるのだが…。
 さて、長い時間待った末、ようやく飛行機はソウルに向け出発した。もちろん搭乗前にはマイルも貯めておいた(前回も書いたが、 アシアナ航空に乗ってマイルを貯めるのなら、ユナイテッド航空のマイレージプログラムに貯めるのがお勧めだ)。アシアナ航空は前回も 乗ったため、少し慣れた感じで機内を過ごせそうだ。また、機材は前回帰りに乗ったボーイング777。パーソナルテレビ付きなので機内 で飽きることはない。機内食は前回と同じだったがやはり満足。一応ソウルまで行きは2時間半かかるが(帰りは2時間)、あっという間 に着いてしまったような感じがした。もちろん到着空港は仁川(インチョン)国際空港だ。

 仁川空港に着いたが、相変わらずこの空港は大きい。我々の飛行機はターミナルのいちばん端っこに横付けされ、 これだと入国審査のある場所までは結構歩くんじゃないかと思ってしまう。しかし実際歩いてみると…そうでもない。この空港が無駄に 大きいわけではないということがわかる。ところで今日の入国審査場は混んでいた。基本的に日本人の手続きはすぐ終わるのだが、時間 のかかる国の人もいるわけで…。とりあえず入国審査でどこも長い列だったら、なるべく日本人が多く並んでいる列に行くのが早いのかも しれない。
 さて、両替も済まし到着ロビーへ。もちろん今回は迎えなど来てない。自力でソウル市内に行かなくてはならないわけだが、仁川空港 には今のところ鉄道のアクセスはないので、空港バスでの移動となる。普通ならソウル市内行きのバスに乗るわけだが、ここで私はあえて ここは国内線が多く発着する金浦空港
もともと国際線も発着していたため設備は立派 “金浦(キンポー)空港行き”のバスに乗った。金浦空港はソウル市内にある国内線の空港だが、ここには地下鉄が乗り入れている。バス でここまで移動し、あとは地下鉄でソウル中心部に向かおうという計画だ。まさか日本人でこういうルートを使う人など、そういないで あろう。まあ、いても鉄道マニアぐらいか…。
 空港バスはソウル市内までは12000ウォン(1200円)だが、金浦空港までは6000ウォン(600円)と安めだ(これは 高級バスの運賃で、一般バスだともっと安い)。また、金浦空港行きのバスは5〜10分間隔で運行されているので、ほとんど待たずに 乗れるのも魅力である。そしてバスの内装の豪華なこと。3列シートで幅もゆったり。座席の前後の間隔も多めにとられている。成田空港 のリムジンバスは4列シートなので、これより明らかに乗り心地は良いであろう。寝てしまうこと必至である。まあ金浦空港はソウル市内 までの道のりの途中に存在するため、バスのルートは前回とほとんど変わらなく、バスからの車窓をまた改めて眺める必要は無いかも しれないが、やはり異国の地。外の景色はどうしても見ておきたい。
 結局眠ることはなく40分程で金浦空港に到着。仁川空港ができる前はここがメインの空港だっため、ターミナルは立派そのものである。 少し建物の中にも入ってみたが、わりと閑散としていたのが印象的だった。韓国は国土が狭いため、飛行機の需要というのはそこまでない のである。おりしも1年前には韓国新幹線といわれる“KTX”がソウルから韓国第2の都市、釜山(プサン)で営業を始めたばかり。 恐らく需要の少ない国内線の中でも一番の収益の良い路線、つまりドル箱路線がソウル〜釜山だったであろう。しかしどれだけKTXに 乗客を奪われたかというのは想像に絶えない。

 さて、私のメインは地下鉄だ。ここに乗り入れているのは地下鉄の5号線。韓国の地下鉄は日本の地下鉄と同じ ようにラインカラーが設定されていて、この5号線は紫がラインカラーだ。早速切符を購入しようと思うが、今回の旅行では、今後何度も 実際に購入したTmoneyカード 切符を買う状況になるに違いない。そこで私が購入したのは交通カード(韓国語でキョトンカドゥ:Tmomeyと呼ばれる)だ。これは東京 の Suica と同じように、カード内にICチップが組み込まれていて、改札を通るときにはこのカードをセンサーにかざすだけでOKと いう優れ物だ。また、地下鉄以外にもバス、一部のタクシーにも使用でき、このカードを持っていれば地下鉄とバスの運賃は一体化として 計算される。さらに、現金で切符を購入する時には普通の値段に100ウォン(10円)が加算されてしまうため(逆に言えば、カードを 使えば100ウォン割引ということ)、やはりカード使用はお得なのである。
 さて、日本だと空港の駅といえば終点の場合がほとんどだが、ここソウルでは途中の駅である。そこでまず私は、この5号線の終点の 駅に向かった。せっかく乗るなら終点の駅から乗りたい。これは乗りつぶしという点でも重要な要素だ。しかも終点はここ金浦空港駅から 2つ目なのだ。行かないわけにはいかない。
今回の実質的な出発駅、傍花駅にて
大きな駅でもなく、ただ単に終点駅な感じ  4分ほどで5号線の終点駅、傍花(パンファ)駅に着いた。せっかくなので外に出てみる。なんだか典型的な郊外の駅という感じで、 マンションがいっぱい建ち並んでいるところの真ん中にある駅のようだ。とりたてて特徴はなかったが、この駅が今回の韓国の鉄道の旅を する上での出発点となるのだ。その意味では思い出深い駅となるに違いない。そんな気持ちで再度地下鉄に乗り込んだ。

 ここから先は路線図があった方がわかりやすいので、ソウルナビという、ソウルのことが何でもわかる(宿の予約も できる。今回私はここから予約しました!)サイトから地下鉄の路線図を載せておきました。これを見つつ読んでください。→ http://www.seoulnavi.com/map/subway_l.html
 ソウルの地下鉄の車両は、日本のとほとんど変わらないが、やはり車幅が広い。1ヶ月ぶりに乗ったわけだが、改めてそう感じる。 もともと韓国の一般鉄道の軌間(レールの幅)は標準軌(日本のJR等は狭軌)で、これは日本の新幹線と同じ幅になる。だから車体も 当然大きくなるというわけである。世界を見渡してみれば、標準軌というだけにこの軌間を使用する国は多く、むしろ日本の鉄道のほうが 小さいといえるのかもしれないが。
 乗った駅が始発駅だっただけに最初は乗客は少なかったが、電車が進むにつれお客さんもちらほら乗ってくるようになった。時刻は 20:00を過ぎた頃で、この線は今ソウル市内に進んでいるのでいわゆる“上り列車”なのだが、結構この時間でも需要はあるようだ。
地下鉄5号線の車両。ライン
カラーは紫である。忠正路駅にて 5号線の車両内の様子。車幅が広いことを
除けば、日本とほとんど変わらない  そして乗ってから15分ほど、最初の乗り換え駅であるカチ山(カチサン)駅に到着する。すると、突然車内にクラシック?のような 曲がかかり始める。なんだと思うが、その後続けざまに『次は〜〜駅』…という案内。実はソウルの地下鉄は、すべて車内放送が自動に なっているのだが、乗り換え駅の場合は、その放送の前に音楽が流れるということになっているらしい。そういえば前回地下鉄に乗った 時にも流れていたような気がするが、まさか乗り換え駅の時に流れるという法則があったとは思わなかった。前回流れた曲と、今回流れた 曲は違ったような気がしたが、これは路線によって違う(いくつか被っているのもある)らしい。隠れたソウルの地下鉄の特徴ではない だろうか。
 この駅からは乗り換え駅も多くなって、中心部に近づいてきたことを感じさせる。カチ山駅から25分後、乗り換え目的のために忠正路 (チュンジョンノ)駅で降りた。しかしここまで、始発駅から40分近く乗ってきたのに、5号線の半分くらいまでしか来ていない。 そう、ソウルの地下鉄は一本一本が長いのだ。
 次に乗る地下鉄2号線も、これは環状線なのだが一周に約1時間半かかる(東京の山手線は約1時間)など、とにかく路線1つが長い。 これは後々苦労させられることなのだが、とにかくこの路線でここから2つ目の乙支路入口(ウルチロイプク)駅まで向かった。ついでに …1つ目の駅は支庁(シチョン)駅で乗り換え駅だったが、このとき車内で流れたのはクラシックではなく、ウグイスの鳴き声だった。 韓国のセンスもなかなか興味深い…。

 今回私が泊まるホテル(韓国では旅館クラスの所だが)の最寄駅は違う路線の明洞(ミョンドン)駅なのだが、 私にはホテルに行く前に寄る場所があった。本屋である。これはもちろん、韓国の時刻表を購入するためである。日本ではどこに売って いるのかわからなかったため、現地で購入ということだ。そしてここ韓国でも、どの程度の本屋で売っているのかが微妙だ。そういうこと で私はわりと大きめの本屋と思われる『リブロ』のある乙支路入口駅で下車。ここから明洞までは徒歩10分ほどの場所だ。
 さて、時刻は20:50ぐらいになっていた。本屋は21:00には閉まるため、およそ10分間で時刻表を探さなければならない。しかも、 私は韓国の時刻表がどのような物なのかさえ知らない。日本の本屋だと、時刻表がある場所というのはだいたい検討がついているのだが、 ここでその常識は通じない。しかも、おそらく表紙に書かれているのはハングル文字だ。せめて電車の写真かなんかが表紙に掲載されて いると嬉しいのだが…。
 まず旅行の雑誌コーナーを探す。日本だと、時刻表はその付近に置いてあるからだ。しかし異国の地では、どこが旅行コーナーなのかも 判別するのが大変だ。やっとのことで発見するが、どうやらそこは海外旅行のコーナー。日本が紹介されているガイドブックとかがあって 興味を惹かれるが、今はそれどころではない。基本に立ち返って、いわゆる雑誌コーナーに向かう。飛行機系の雑誌が置いてある。なんか 中はこんな感じ。読み方は日本とほぼ同じ やっと探せた韓国の時刻表
大きさは日本の単行本ぐらい 近そうだ。そして閉店間際のギリギリで、私は韓国の時刻表を見つけることができた。それは私が想像していたのよりもかなり小さく、 今思うとよく見つけられたなというぐらいの代物だった。表紙は“庭園”?の写真が掲載されていた。
 表紙が庭園の理由というか、鉄道が表紙でない理由はすぐにわかった。この時刻表は、鉄道からバスから、船から飛行機まですべて 網羅されているのである。そして、日本の時刻表の場合だと、本のほとんどは鉄道が占めているのに対し、韓国版では鉄道、バス、船、 飛行機(これに限り少ないが)など、ほぼ均等のページで掲載されている。これは、鉄道の本数がまだまだ少ないことを意味している。 ページをめくってみると、大都市の地下鉄などは本数は多いのだろうが、何分毎としか書かれていないためページ数は少なく、長距離路線 の列車の本数は本当に少なく、ソウルと釜山を結ぶ大幹線の京釜線(キョンブソン…線は韓国語でソンと読む)ですら、たった16ページ (上り、下り合わせて)で終わっている。これでもKTXができた後だから、全体的には増えているといえる。あと、鉄道とバスのページ 数が同じぐらいというあたりが、基本的に世界はバス社会の流れか…と思ってしまう。表紙が鉄道でないのも納得の出来事であった。

 時刻表も無事購入でき、とりあえず今日の宿“鶏林荘(ケリムジャン)”へと向かう。韓国の安宿は、一般的には 旅館とか、モーテルとかと呼ばれるが、この鶏林荘は旅館の部類に入る。日本の“旅館”とはちょっと意味合いが異なるが、とりあえず 安宿ということである。ここでも旅館と記させていただく。場所は明洞駅から徒歩3分。実は前回、ソウルタワーへ行くためのロープ ウェイに乗るため、少し坂を上ったが、その坂の入り口付近に鶏林荘はあった。少し小道に逸れた所にそれは位置し、入り口も普通の家の 玄関みたいで、ドアをガラガラと開ける…という感じである。中に入ると、玄関のすぐ横に管理人室みたいな部屋があり、一人のおばあ さんがテレビを見ていた。その人に、「すいませ〜ん」と声をかけ、日本で印刷した予約確認書を見せると「ケリムジャンハジメテ?」 と、片言ながら日本語で話しかけてきてくれた。そう、ここの人達は日本語が話せるのである。
 そして部屋に案内してくれた。玄関から中に上がるときにはスリッパに履き替えるというのも教えてもらったが、なかなか感じの良い人 そうだ。部屋は4畳ぐらいの大きさで、狭いといえば狭いが、一応オンドル部屋(特に寒くなかったので使ってないが)だし、バス トイレ付きだし、冷蔵庫もテレビもあるし、一人旅には申し分ない設備だ。一応リモコンの使い方の説明を受けておばあさんが操作し、 「NHK!」と言ってNHKのチャンネルにしてくれたのが微笑ましかった。日本でいう民宿みたいな雰囲気がここにはある。鶏林荘は 何気に日本人のリピーターが多いそうだが、それも頷ける話しである。
 さて、今時刻は21:30を回ったところだが、今日も少しは電車に乗れそうだ。できれば今日明日でソウルの地下鉄を完乗したいのだ。 少しの時間も惜しんではならない。旅館の入口に出向くと、今度は若い30代ぐらいの男の人も管理人室にいた。実はこの方こそ、ここの 夜21:30頃のソウルの街並み
場所は明洞の端っこあたり 旅館のオーナーで、どうやら先ほどのおばあさんの息子のようだ。ここは家族ぐるみで経営をしているのだそうだ。門限は夜中の2時 までで、それを過ぎると玄関の鍵を閉めてしまうらしいが、その時でも入り口のインターホンを鳴らせばオーナーが開けてくれるという。 つまり、鍵だけは閉めますよ…ということか。
 ここ明洞の地図も(日本語版)いただいて、美味しいレストランや24時間営業のレストラン、また格安のレストランも教えてもらい、 私は鶏林荘を後にした。とにかくまず電車に乗らなくては…。効率のいい乗り方を考えると、先ほど降りた乙支路入口駅から乗るのが得策 だろう。少し回り道をしてソウルの街並みを拝見しつつ、駅に行き地下鉄2号線に乗り込んだ。

 今日の限られた時間でどこに行こうかと考えたが、明日は南西の方に行こうと思っているので、今日は北東の方を 攻めようと思う。路線で言えば4号線や6号線の北側の終点だ。とりあえず4号線に乗り換えるため、今乗った2号線で3つ目、東大門 運動場(トンデムンウンドンジャン)駅に向かった。
 やはり2号線の乗り換え音楽はウグイスのようだ。何度か聴くと慣れてしまうのだから不思議である。そして4号線に乗り換える。 夜のラッシュなのか、やはり下り方面は相当混んでいるようでホームに人が溢れていたが、この光景も日本にそっくりなので面白い。 やがて電車がやってきた。4号線は前回も乗っており、ステンレス車体に赤と青の線の車両と、もう私には見慣れた車両である。しかし この4号線のラインカラーは水色なのだ。まああまり細かいことは気にしないで良いのかもしれない…。
 ここから終点のタンコゲ駅までは約30分。前回降りた東大門(トンデムン)駅や、大学路(テハンノ)エリアの最寄駅である恵化 (ヘファ)駅を、一つ一つ丹念に停車しながら、電車は先へと進んで行く。いつしか電車は地下から地上に上がり、ベッドタウンのような 雰囲気の街の中を高架でゆっくりと進む。ふと左手に、おそらく4号線のものと思われる車両基地が広がった。暗かったのでよくわから なかったが、相当数の車両があったように思う。さすが大都市の通勤電車。そして間もなく、電車は終点タンコゲ駅に到着した。東大門駅 付近ではあんなにいた乗客も、ここでは1両に10人ほどぐらいしか乗っていなかった。
 駅を見る暇もあまりなく、すぐにトンボ返りする。いま乗ってきた電車はいったん留置線に引き上げられ、そしてまた上り線になって (よく考えたら上り・下りとは言わないかもしれない…地下鉄は都心を貫く路線な為)ホームに入ってくる。だが、今回入線してきた 車両はさっきとは違う車両のようだ。もう一目瞭然、車体にオレンジ色のラインが入っている車両なのだ。
地上駅だったタンコゲ駅
わりと近代的な感じである  これはどういうことかと言うと、先ほど乗った赤と青の線の車両は地下鉄の車両。いま入線してきたのは国鉄の車両で、これらは相互 乗り入れをしているということだ。前回乗った1号線もそうで、国鉄と地下鉄では明らかに車両が違う。ソウルの地下鉄では1号線と 3号線、そしてこの4号線がそういう形態をとっている。日本にもこういった例は多く、例えば東京では東急田園都市線と地下鉄半蔵門線 と東武伊勢崎線、3線で相互乗り入れをしている。
 だが、ここで韓国の鉄道の優れた?特徴があげられる。それは、国鉄と地下鉄では会社が違うのはもちろんだが、運賃は通しで計算 されるというものだ。普通日本の場合だと、例えば表参道から三軒茶屋に行く場合、駅数的には3つ目だが、渋谷までの初乗り運賃 プラス、渋谷から三軒茶屋までの東急の運賃を足さなければならない。だが、韓国ではそういったことはない。すべて通しで計算され、 初乗り運賃を何度も取られるということがない。
 実はソウルの通勤電車では、国鉄、ソウル特別市地下鉄公社(以下地下鉄公社)、ソウル特別市都市鉄道公社(以下都市鉄道)、仁川 域市地下鉄公社(以下仁川地下鉄)と、4つの異なる組織が運営しているのだが、料金体系は一本化されている(地下鉄の1〜4号線が 地下鉄公社、5〜8号線が都市鉄道の管轄である)。さらに言えば、鉄道関係者でも鉄道ファンでもない韓国の一般の人は、日本でいう 「通勤型電車」、要するに今あげたこれらの路線をまとめて『地下鉄(チハチョル)』と呼ぶ。国鉄線はほとんど地上を走っているの だが、これも『地下鉄』と呼んでしまう辺りに少々違和感を感じる。しかし、車両の見た目にもあまり差はなく(色の違いならまだしも、 車両の形の微妙な違いなんて、一般人は気にとめない)、料金も一本化されているので、乗客はどれが国鉄でどれが地下鉄公社か… なんかは全く意識せず利用しているのが実状であるらしい。
 また、国鉄で通勤型電車が走っている路線を「首都圏電鉄」なんて呼ぶこともあるが、これはれっきとした国鉄で、別に「首都圏電鉄」 という会社があるわけではないようだ。あくまでも便宜上ということか。よく日本のJRの都市部分を「近郊区間」とか言うが、それに 近い意味があるように思える。
 ではなぜここで国鉄を「首都圏電鉄」と分けたかというと、「首都圏電鉄」は確かに他の地下鉄と料金が一本化されているが、長距離の 路線とは料金が別体系になっているからである。例えば、国鉄京義線(キョンインソン)というのがソウル駅から出ていて、この路線は 非電化で列車も1時間に1本。もちろん首都圏電鉄“網”には組み込まれていない線なのであるが、この路線の駅からソウルを通って 1号線の龍山(ヨンサン)駅まで行くとすると、同じ国鉄の路線なのにソウル駅でいったん改札を出て切符を買い直さなくてはならない。 逆に、金浦空港駅から仁川地下鉄の終点駅、桂陽(ケヤン)駅まで行ったとすると、5号線、首都圏電鉄、仁川地下鉄と乗り継いで行く ことになるが、1枚の切符で済み、運賃は距離に応じた通し運賃で、途中改札を出ることもないのだ。これがソウルの地下鉄の最大の特徴 とも言えるかもしれないが、結果的に利用者にはわかりやすい状況になっている。今ではソウル市内の非電化路線の“首都圏鉄道化”を 国鉄は目指しているらしく、何箇所かで電化を延伸しており、利用者的にも、いわゆる“地下鉄化”による近代化…というように捉え られているらしい。かなり話しが難しくなってしまったが、とにかく今乗った電車は、首都圏電鉄の車両である。

 2駅戻って蘆原(ノウォン)駅へ、ここで7号線に乗り換え南下。ここで地下鉄公社から都市鉄道への乗り換えと なったわけだが、もちろん途中に改札はない。確かに利用者に便利なシステムだ。だがそれに気付く乗客はあまりいない…。7号線で 今度は4つ先の泰陵入口(テヌンイプク)駅へ、そして6号線に乗り換え、その線の終点の烽火山(ポンファサン)駅まで行く。ここも 5号線の傍花駅と同じく郊外の駅という感じだったが、まだ開発はそこまで進んでないようだ。まあ確かに6号線は開業が2000年と 新しいこともあり、むしろこれからといった感じではあると思うが…。
 さて、駅に戻り時計に目をやると、もう夜の0:10過ぎである。そろそろホテルへ戻らないとやばいかもしれない。ソウルの地下鉄は 夜中1時近くまで走っているが、ちゃんと最寄の駅まで動いているのかといった保証はない。いざとなったら、韓国はタクシーが安いので そっちを利用しても良いが、ここはなるべく地下鉄で帰りたい。この6号線は昼間は7、8分間隔で電車が走っているが、この時間帯は 15分ぐらいの間隔だ。また、どうしてもホテルの最寄駅に行くには乗り換えが必要となり、他の路線でもさすがに本数が少なくなって いると思われるので、もう限界の時間であろう。
最近の車両は座席が金属製。いわゆる火災対策
としてだが、抜本的な対応が望まれるところである  駅の時刻表を見ると、次に出る電車が市内まで行く最終電車のようだ。この後発車する電車は全て途中止まりらしく、本当にギリギリ だったといえる。さすがに車内にはほとんど人がいない。5号線から8号線までの、いわゆる都市鉄道管轄の車両は、側面のデザインが 微妙に異なるだけで、あとは概ね同じに見える。あとは車体のラインカラーぐらいか。だから6号線の車両も、最初に乗った5号線も、 見た目ではあまり大きな差はない。むしろ差があったのは車内で、5号線では座席はクッションが使われていたのだが、この6号線では 金属剥き出しの座席が使われていたのである。
 ソウルの地下鉄はもともとクッション製の座席が使用されていたが、1998年、韓国の地下鉄の安全基準に“車体の外内装に燃え にくい素材を使う”という項目が追加され、これ以降造られた車両は座席が金属製のものになったというわけだ。6号線はわりと新しい 路線なため、基準に乗っ取り全車が金属製の座席である。しかしこの基準だが、1998年に設定されたというのがいかにも遅い。そして 記憶に新しい2003年、大邱広域市の地下鉄で火災(放火)が発生、200名近い犠牲者を出す大惨事となってしまう。ここで改めて、 地下鉄の安全対策を見直す必要に迫られるが、この翌々年、つまり今年の1月には今度はソウル地下鉄7号線で火災(これも放火だった) が発生。このときは全員が電車から脱出し、負傷者が1名だけですんだが、電車は2両が全焼。大邱市の反省はまったく活かされなかった ということになってしまった。
 ついに韓国政府が、6000両あまりある車両に、内装に不燃材を使ったものに取り替えるように支持を出すが、現在の交換率は 30%程度に過ぎないという。ついでに、日本の地下鉄は大邱市の事件以降、内装に使っている電線にまで不燃材で包むよう基準を厳しく している。この事ばかりは、少しは日本を見習ってもらいたいものだと思えてしまった。

  気を取り直して都心へ向かう。さすがに遅い時間帯なので、途中の駅から乗ってくる人もまばらである。外国で このような最終電車に乗るとは思わなかった。20分ぐらい乗って、2号線との乗り換え駅新堂(シンダン)駅に着く。旅館の最寄駅で ある明洞駅は4号線の駅であるが、4号線に乗るにはこの駅でまず2号線に乗り換え、さらに乗り換えなくてはならないので、きっと最終 には間に合わないであろう。しかし、明洞から徒歩10分の乙支路入口駅なら2号線に乗ったままで行ける。2号線がまだ動いていること に賭け、この電車を降りた。この時の時刻は0:45。
 私の他にも何人か降りたが、その一部の人達が2号線のホームへと向かっている。良かった、まだ電車はありそうだ。2号線のホームに 降りる手前の階段で、係員らしき人が立っている。おそらく、次が最終電車だから乗り遅れのないように…ということなのであろう。 そしてホームでは時刻表を見つけることができた。何が書いてあるかはわからなかったが、最終はとにかく0:52発のようだ。ギリギリ だったが…間に合った。
 少し待って、時刻は0:52になった。…が、まだ電車は来ない。まあ最終電車というものは少しは遅れるものだ。日本の通勤電車でも同様 のことである。せっかくなので、時刻表を眺めてみる。この2号線は環状線なので、普通の電車の行き先には“外回り”や“内回り”しか 書かれていない。だが、最終電車はそうもいかない。必ずどこかの駅止まりとなっているはずである。さすがに駅の時刻表の行き先は ハングル文字でしか書かれてないが、日本から持ってきたガイドブックには、地下鉄の路線図にハングル表記と日本語表記、どちらも 書かれてあるので、これと照らし合わせてみる。
 しかし、慣れない作業なので、それだけで時間がかかってしまう。そうこうしているうちに電車がやってきてしまったが、ここで私は 大変なことに気付いた。このホームから出る電車の行き先には、私が行きたい方面ではなく、逆の方面の行き先が書かれていたのである。 これはおかしい。その時になって始めて、私は逆の方面のホームにいることに気付いた。もし駅の時刻表を見ていなかったら、そのまま 逆方面に行ってしまっていたかもしれない。6号線から2号線に乗り換える時、ずっと地下通路を通ってきたために、方向感覚がずれて しまっていたようだ。今来た電車を見送った後、慌てて反対方面のホームに移動する。なんだか汗びっしょりになってしまった。そして、 乙支路入口駅止まりの最終電車にて…
まず電車は、車内の照明を消してしまった 程なく逆方面(私が行きたい方面)の電車がホームに入ってきた。行き先はなんと、ちょうど乙支路入口行き。やれやれ、どうにかなり そうである…。

 乙支路入口駅には1:05頃着いた。電車もこの駅止まり。正真証明最終電車である。車内には酔っ払ったサラリーマン だろうか。終点に着いたのに起きないままだ。この風景も日本で見るのとそっくりで面白かった。さて、私はさっさと降りて、さてどの 階段から上がるんだっけ…とホームを歩いていた矢先、突然今乗ってきた電車の照明がパッと消えてしまった。まだ車内で寝ている人が いるにも関わらずである。そして、車内では駅員や車掌が寝ている人を起こしにかかっている。寝ている人を起こすのは日本でもよく 見かけるが、車内の照明を先に消してしまうとは…。半ば強制的な感じもしたが、これも韓国らしい気がしたから不思議である。
 そのまま歩いて明洞へ。夜中の1時になってしまったが、韓国の治安はまあまあ良好。たまに話しかけてくる人を無視さえしてれば 問題ない。お腹が空いたので、旅館近くの簡易レストランへ。何気に24時間営業のお店だったが、ここでは冷麺を食べた。
 明日は韓国新幹線“KTX”に乗るつもりである。また、地下鉄のほうも完乗を目指すので、朝から晩まで乗ることを要求される。 まあ…要するに早く起きようという話しである。ご飯を食べ終わって旅館に戻ったのは2時近くだったが、購入した時刻表を読み、電車の 乗り継ぎ等を検討。色々思案した結果、結局寝れたのは夜中3時ぐらいになってしまった。だが、何も心配などはしていないという自分が そこにはいた。

  2005年5月24日(2日目)

 朝、眠い目を擦りながら旅館の玄関へと足を運ぶ。玄関でおばあさんに鍵を預けたが、少し驚いていた様子だ。 なぜならまだ朝の5:30。昨日旅館に戻ってきてから3時間半ぐらいしかたっていないのだ。旅館の外に出ると、空は薄明るくなっていて、 少し肌寒い感じだ。まさに早朝の風景である。
 明洞駅からソウル駅(地下鉄のほうは“ソウルステーション”駅が正しい)まで地下鉄で移動し、長距離列車のソウル駅へと向かう。 この時点で朝6:00前。予定では6:20発の列車に乗るつもりなので、順調である。今日の予定はまず韓国新幹線“KTX”に乗ること。 そのあとは首都圏電鉄や地下鉄線を駆使して、ソウル中を回るつもりである。
 切符売り場で「KTXで大田(テジョン)まで」と言い、切符を購入。ちゃんと英語が通じて良かった。他の駅ではわからないが、 ソウルの駅では概ね英語は大丈夫そうである。大田という所はソウルから南に160kmほどのところにある韓国第6の都市で、人口は 約150万人。東京から見た静岡ぐらいの距離にあるが、切符の値段は19500ウォン(約2000円)と安い。ちなみに、東京から 静岡までの新幹線の値段は6000円ぐらい。やはり韓国の交通機関の安さはKTXでも例外ではないようだ。
 これまで、韓国の長距離列車の駅の改札口は、列車の発車15分前になると改札係がやってきて改札口を開けていたが、発車15分前 から改札というシステム自体はKTXができてからも変わっていない。しかし、KTXの開業を機に磁気カードタイプの乗車券が導入 され、駅には自動改札機が並ぶようになった。この自動改札機には、発車15分より前の乗車券を入れるとゲートが閉まってしまうらしい ので、何も知らない我々日本人には注意が必要である。もし早めに入りたかったら、駅員にその旨を伝えれば通してもらえるようなので、 何も深刻に考える必要はないみたいだ。
自動改札機が導入された
ソウル駅の改札口(4月撮影)  6:05を過ぎていたため、早速改札へと向かう。そういえば先月はここより先には行けず歯がゆい思いをしていた。しかしあれから 約1ヶ月…、もうKTXに乗ろうとしているなんて…。自分ながら感心してしまう出来事だ。改札の中へ入りホームへと降りる。今回 乗るのはKTX43列車、釜山行き、ホームは5番線の発車である。

 ここで“KTX”について少し触れておこう。KTXは Korean Train eXpress から名付けられ、2004年4月 1日に開業。韓国は世界で8番目、アジアでは2番目の高速鉄道保有国となる。日本ではよく「韓国新幹線」と称されているが、日本の 「新幹線」とは高速鉄道としての運用システムが大きく異なっているということをまず頭に入れておきたい。
 日本の新幹線は規格から、線路から、車両から、すべて新幹線「専用」のシステムになっているのに対し、韓国は“高速鉄道区間”と して建設。そこに乗り入れ可能な列車が高速線を走れるというシステムなのである。具体的にいえば、ソウルを出発したKTXはしばらく 在来線の線路を辿り、始興(シフン)駅を過ぎると在来線と分岐、高速線に入る。そこから光明(クヮンミョン)駅、天安牙山(チョナン アサン)駅という、KTX専用の駅を通って、大田駅の手前で在来線に合流し、そのまま在来線と同じ、大田駅へと到着するという 感じだ。このように、高速鉄道区間に“乗り入れる”というのが特徴的であるといえる。
 KTXはフランスの技術で造られたものだが、こういったシステムはいかにもヨーロッパらしいもので、事実、フランスはもちろん、 スペイン、ドイツ、イタリアなどの高速鉄道は、すべてこのようなシステムを導入している。むしろ、何から何まで新しく建設というのは 日本以外に見当たらなく、ヨーロッパ式のほうがポピュラーな存在になっているというのは否めない。今度台湾に新幹線ができるが、 これは世界で初めて、日本の「新幹線」システムを導入する。しかし、建設費が高いなどの理由で、なかなか工事は進んでいないらしい。 日本が誇る新幹線だが、そのまま海外で使えるかというと、また別の話しになるということなのだろうか…。
ソウル駅のホームからコンコースを望む  このような事情から、KTXは韓国新幹線といっても、ソウル〜釜山間408、5kmのうち正真正銘の高速鉄道区間は始興〜大田操車場 (テジョンチョチャジャン)間の132,7kmと、沃川(オクチョン)〜枝川(チチョン)間の90,9kmの計223,6kmの本線、 そして15kmの連結線のみで、あとは在来線を走るのである。そのため厳密には「新幹線」ではないのだが、ここではKTXを指すのに 便利な言葉なため、あえて「韓国新幹線」と表記させていただいている。
 列車は20両編成で、そのうち先頭車の前後2両が電気機関車となっていて、乗客が乗れるのは中の18両となっている。このように 客車の両端を電気機関車で挟み込むようにして運転することを、プッシュプル方式という。機関車が客車を牽いているので、KTXは 客車列車ということになるが、日本の新幹線は16両編成のうち、そのうち何両かがモーター車(例えば東海道新幹線の700系は 12両がモーター車)というように、動力分散型なので、この点でも日本とは異なる。
 18両の客車のうち特室(日本のグリーン車に相当)は2〜5号車、一般室(同じく普通車)の指定席は1・6〜16号車、そして 17・18号車が一般室の自由席である。特室全席進行方向向きの回転式となっているが、一般室は固定式の集団見合い式で、車両の 半分が進行方向と逆向きの座席となる。私は先ほど、「大田まで」と特に何も指定せずに切符を購入したが、手渡されたのは一般室の 逆向きの座席だった。逆向きの座席はやはり不評なためか、料金が5%安くなる。もちろん席が埋まっていくのは進行方向向きの座席 からで、今日はそれなりに混んでいるのかもしれないと予想できた。

 さて、6:20、列車は定刻通りソウル駅を発車した。日本の新幹線と同じようにドアの閉まる音が聞こえなく、いつの 間に発車してる!という感じである。また、KTXは客車列車なので、客室にはモーターの音がまったく届いてこない。KTXの最高速度 は300kmだが、それを感じさせない静かな走り出しである。
 程なく、前回宿泊した最寄の駅、南営(ナンミョン)駅を通過。まさか前回から1ヶ月後に、長距離線の車内から南営駅ホームを眺め られるとは思っていなかった。しばらくは首都圏電鉄と並行して、龍山(ヨンサン)を通過、ここは長距離線のホームがあるが、ソウル駅 始発の列車はすべて通過する(海外日記8参照)。首都圏電鉄とはまだ並行して走って、いくつもの駅を通過。これは、東京から東海道 新幹線に乗って、山手線や東海道本線を横に見ながら有楽町や新橋を通過していくのとダブる。やはり都心部ではこのような形態に ならざるをえないのであろう。
 それもソウル駅から首都圏電鉄で11個目の駅、始興駅を通過して終わりとなる。ここで長距離路線は2つに分岐する。1つは、首都圏 電鉄と引き続き並行して走る、従来からの長距離線。もう1つは、これから進む“高速鉄道線”である。線路が分かれると、私の乗って いる線は地下へと潜ってしまった。そして、あまりスピードは上げずに光明駅に到着。ここはKTXだけの駅であるが、結構人が乗って きたのには驚いた。最初、KTXの車内に入ったときは意外と空いてて、これなら進行方向向きの座席に座れるじゃないかと思ったが、 この駅からの乗客で、その座席はほとんど埋まってしまった。なるほど、混んでいるという予測はどうやら当たったようだ。
KTXの一般室の車内。思ったより狭く、
半分は進行方向と逆向きの席となっている  さて、光明駅を出て列車はそのまま長いトンネルへと入っていった。もう高速鉄道区間には入っているはずで、トンネル内の照明が どんどん速く過ぎ去って行くので、スピードを上げていっているのはわかった。しかし、トンネル内では実際どれくらいのスピードに なっているのか、確かめようがない。そんなことを思っていると、突然列車はトンネルを飛び出した。
 周りの景色はいつの間にか、なだらかな丘陵地になっていて、軽く霧がかかっているようだった。しかし…速い!
 一瞬どんな景色なのかわからない感じだった。駅を発車して、そのままトンネル内でスピードを最高速度まで出したため、いきなり 時速300kmを体感させられてしまったのだ。不意を突かれたみたいで、少々驚いた。時速300kmというのは、現在日本の山陽新幹線 でも体験できるが、私はまだその区間には乗っていなく、東北新幹線の時速275kmというのが私の乗った最高速度の記録だったため、 記録更新は韓国にて…という結果になった。それもなかなか面白いか。
 それにしてもトンネルが多い。新しく造った路線だからやむを得ないが、周りの景色がほとんど見えないために、面白いものではない。 おまけに私は進行方向と逆向きの座席に座っているので、あまり気持ちの良いものでもない。また、トンネルの外に出てても、時速300 kmの列車から見る景色は速く、すぐに目が疲れてしまう。車内を見渡してみると、お客はほとんどビジネスマンといった感じで、観光の ために乗っているという感じの人は見当たらなかった。また、実はKTXは、韓国の鉄道の規格からすると車体が小さくできている。 速く走るためには仕方ないのかもしれないが、それまでの韓国の車両のように広々とはしてなく、少々圧迫されている感じもする。何だか 速く走るために、色々快適面を犠牲にしている面も見受けられるのである。日本の新幹線は、在来線より一回り大きい車体となっている ため、車内は座席一列分広々としている。これも、KTXと日本の新幹線の大きな違いであるといえる。
 ある程度走って、天安牙山駅を通過。これもKTXだけの駅で、新しい設備の駅というのを見たかったのだが、速すぎてホームの様子 などわかるべくもない。300kmというのは275kmから25km速くなったに過ぎないが、数時上より速くなっている気がする。これは 運転している側は大変だろうなとも思う。実際、300kmの運転というのは視野がぐっと狭くなるため、目視確認はあまり役に立たず、 もっぱら運転席の計器を頼りに運転しているらしい。そのため、新線区間では霧がかかっていてもメーターを見ながら減速せずに走る ことができるとか。大したものだ。
 さて、ソウル駅を出て50分ぐらいだろうか、列車は減速をし始め、左側から近付いてきた在来線に合流する。もうすぐ大田駅に到着 である。車内では自動案内放送が流れるが、韓国語、英語、中国語を始め、日本語でも放送されることには驚いた。現在のところ、日本で 韓国語の放送もしている列車というと、2004年にできた九州新幹線が唯一である。これは日本の他の列車でもぜひやってもらいたい 事ではある。そして大田の市外に近付き、列車は7:14、時間通りに到着。私はここで降りたが、列車はそのまま釜山に向け、すぐに出発 して行った。

 駅を降りてみる。ここの出入口は到着客と出発客を完全にわけていているのが特徴だ。そのため、人の動線は スムーズである。人口150万人というが、駅前はそれほど大都市という感じでもない。街の中心部は、少し駅から離れた場所にあるの かもしれないが、2006年には大田に地下鉄が開業するという。そうすると、街の中心部と玄関の駅が電車で結ばれることになり、 より一層の発展が期待できるといえそうだ。KTXが開通してまだ1年しかたっていないため、まだまだ整備は完成されていなかったが、 これも地下鉄開業を見越したものといえるのかもしれない。
 さて、次は在来線に乗ってソウルの方に戻らなくてはいけない。乗る線は京釜線(キョンブソン)、列車はムグンファ号というやつで ある。ここではまた、韓国の列車の名称について説明しなければならない。やはり説明が必要とされるほど、韓国の鉄道の常識は日本の それとは異なっている。
 まず韓国の列車の種類であるが、スピードの速い順に、KTX(新幹線相当)、セマウル号(特急列車相当)、ムグンファ号(急行 列車・快速列車・普通列車相当)、トングン列車(通勤列車=おもに都市近郊の普通列車)の4種類が存在する(首都圏電鉄は、ここでは 別扱いとする)。全国どの路線でもこの愛称を使い、日本のように行き先ごとに列車名が変わることはない。なお、KTXが開業する前 までは、特急セマウル号、急行ムグンファ号、普通トンイル号(トングン列車の前身=準急・快速・普通列車に相当)とだったが、この KTXの開業を機に、一気に上記のように大きく変更されたというわけである。
大田駅の待合室。KTXの開業を
機に改築されたものと思われる。 大田駅から乗ったムグンファ号。ディーゼル
機関車で車両を引っ張る、客車列車である。  また、電車というのはKTXだけで、あとは気動車か客車(機関車はディーゼル機関車も、電気機関車もある)という編成になる。 韓国の国鉄の電化率はまだまだ低く、KTXが開業しても電化率41%。日本では客車列車というのは寝台列車を除くと(だいたい寝台 列車が削減傾向にあるし)ほとんど見ることができないが、ここ韓国では客車列車が主流の位置にある。
 そして、これらはトングン列車を除くと基本的に全車指定席(KTXは2両だけ自由席があるが)で、乗るときには必ず、駅で座席を 予約しておかなくてはならない。満席の場合、ムグンファ号なら立席特急券を販売してくれるが(セマウル号は無し)、例えば私は これから在来線の天安(チョナン)という駅に向かおうと思っているのだが、大田〜天安間は全車指定席の列車しか走っていないという ことになるのだ。日本の常識からするとなかなか大変なことのように思える。実際私は大田駅でムグンファ号の切符が手に入るか不安 だったのだが、そこは問題なく購入できて良かった。しかし、混雑時やお盆の季節などはどうなってしまうのだろうか。ある意味、国鉄の 首都圏電鉄化を望む声が多いのも納得できる気がした。

 さて、私の乗ったムグンファ1260列車はソウルに向け大田駅をあとにした。セマウル号もそうだが、この車両は 従来の韓国の車両の規格のままなので車体が大きく、車内は広々としている。座席こそ簡易リクライニングシート(2、3段階しか リクライニングできないシート)だが、居住性は高く、ある意味KTXよりも良いかもしれない。
 さっき来た方向に戻る形をとるわけだが、後に高速線が左に分岐。今度は在来線のまま北へと向かって行く。この列車は、途中何個か 駅を通過する、いわゆる急行列車タイプの列車であったが、その通過する駅の中には、1日に1、2本しか列車が停車しない駅もある のだ。というか、私の乗った列車は大田発7:45で、その次の列車は8:53発のムグンファ号、さらにその次の列車は9:02発のセマウル号、 9:37発のムグンファ号と、日本の感覚でいうと本数がはるかに少ない。この間にKTXが2、3本発車していく感じだが、これでも韓国 の中で見れば多いほうで、京釜線と並ぶ幹線である湖南線(ホナムソン)になると、1時間にKTXとムグンファ号(たまにセマウル号) が1本ずつぐらいの運転となってしまっている。これは昔の日本の国鉄のような運転形態で、編成を長くして運転を間引くという方法で あるが、これから韓国も発展していったら、鉄道のフリークェンシーさを求められるようになっていくのかもしれない。そのとき韓国国鉄 はどのような対応をとるのか、楽しみなことではある。
天安駅の首都圏電鉄時刻表
本数もそれなりに多いようである  さて、乗り心地が良かったのか、私は途中で寝てしまった。そして、『まもなく天安駅です』という日本語の案内放送で目が覚めた。 ちゃんとムグンファ号のような急行列車でも、日本語案内放送は行っているのが好感が持てる。おかげで乗り過ごすことなく、天安駅に 降りることができた。

 天安駅で降りたのは、ここから首都圏電鉄区間が始まるからである。ここまで首都圏電鉄が延びてきたのは今年の 1月20日のことなので、まだ4ヶ月くらいしかたっていないから、本当に最近のことである。先ほど大田から乗ってきた線と、この 首都圏電鉄線は前に述べたように、同じ国鉄にもかかわらず料金体系が異なるため、一旦改札を出なくてはならない。とりあえず駅の 外にも1回出てみたが、どうやら首都圏電鉄の開通を歓迎している様子だった。やはり格段に便利になったに違いない。
 首都圏電鉄の改札口へと向かう。先ほど出てきた改札口は、いかにも長距離風の感じだったが、こちらは自動券売機や自動改札がバーッ と並べられ、天安駅が首都圏の仲間入りを果たしたんだなというのを実感する。時刻表も見てみたが、本数は1時間に3〜5本ぐらいで、 日中は1時間に1本程、急行電車も設定されていた。なんだか日本の私鉄みたいになってきているような感じである。余談だが、この 時刻表を私はカメラでおさえたのだが、その時、韓国人に「時刻表ならそこの窓口で配っているよ」というようなこと(何を言ってたかは わからないが、恐らくそうであろう)を言われた。優しいというか、余計なお節介というか…これが韓国人の人柄である。
 ホームに降りると、もう電車は来ていた。電車はソウル市の清涼里(チョンニャンニ)駅行きで、ここから110キロ先までの長い 道のりの列車であるが、ここ発の列車はほとんどがその駅まで行く(急行列車は龍山駅行きとなっている)。110キロとなると、日本 でいえば高崎線で上野から前橋に行くようなもので、結構長い距離を走る列車だということがわかる。しかし首都圏電鉄は、地下鉄と同じ 通勤型列車ということを考えると、これはなかなか大変である。まあ急ぐ人はセマウル号やムグンファ号を使えば良いことだし、値段も 安い(ここから清涼里駅までは2300ウォン=230円)ので、便利なことには変わらない。  天安駅を出ると、首都圏電鉄の上り線と下り線の間に、長距離線が入り込むようになる。つまり、複々線になるというわけだ。まだ この辺りだと本数はそこまで多くはないため、わざわざ複々線にしなくても良いように思えるが、韓国の国鉄ではまず、長距離線のほうの ダイヤを決めてから首都圏電鉄のダイヤを決めるというやり方のため、同じ線路にはできないのだそうだ。しかし、この天安駅までの延長 を機に、首都圏電鉄には日中に急行電車が設定された(以前から、ラッシュのみに走る急行電車はあった)が、この電車は一部長距離線の 線路を走ることになった。これは韓国国鉄からしてみると画期的なことで、ダイヤも柔軟になってきたということなのだろうか。さらなる 発展を望みたい。
 この電車は各駅停車だったが、たまに駅を通過する。これはまだ沿線の開発が進んでいなく、駅も工事中という箇所がいくつかある からである。確かにこの辺りは駅と駅との間の景色は閑散としていて、だたっぴろい原っぱみたいなところを走っている。駅に近付くと それなりに住宅も増えるのだが、この付近の首都圏電鉄の開通は今年1月。無理もない。だが、ここ2、3年で開発が進んでいくのは 間違いないと思うので、ある意味こういった景色は貴重なのかもしれない。

 さて、太陽も上がってきたところで、私はまたウトウトし始めた。できれば、世界遺産にもなっている水原華城 (スウォンファソン)のある水原(スウォン)駅には降りてみたかったのだが、あえなく乗り過ごし、またの機会にということになって しまった。この辺りでは本数も増え、だいたい1時間に5〜6本ぐらいの運転になっていた。
 またしばらく寝ていたが、「アニョハセヨ!アニョハセヨ!!」と大声で喋っているおっさんがいる。なんだと思って起きてみてると、 カゴを持ったおっさんが、車内でボールペンを売りにかかっているのが目に入った。実はこれは珍しいことではなく、韓国の地下鉄など ではよく出現する、いわゆる“物売り”である。まず商品の宣伝をしているようで、このボールペンは書きごこちが良いだの、長持ちする だの、まあそんなことを言っているのだろう。そして5本で1000ウォン(100円)という感じで、乗客に見せに回り始める。こんな ものを買う人がいるのだろうと思ったが、予想に反して4、5人の人が買っていったのには驚いた。ちゃんと商売になっているということ なのだろう。次に私が降りたかった駅は、九老(クロ)という駅だったのだが、そのおっさんもだいたい売れたと判断したのか、その駅で 降りていた。降りたホームにはまた1人、同業者と見られる感じの人がいて、色々と言葉を交わしていたのが印象的だった。
1号線の要所となる久老駅。2方面にわかれるため、
ホームの数が多い。右端の2線はKTX等の長距離線用 左の写真の電車、首都圏電鉄5000系
(VVVF車)の車内。結構洗練されている  さて、この九老駅。ソウルから来た首都圏電鉄が天安方面と仁川(インチョン)方面に分岐する、要所となる駅で、日本で言えば大宮駅 みたいな感じであろうか(ただし、KTXや長距離線は停まらない)。ここで私は仁川方面へと足を運ぶことにした。ソウル地下鉄、 首都圏電鉄網の、まず西側から攻める作戦だ。この駅は構内が広いため、どのホームからどこどこ行きの電車が出ているのかかなり 迷うが、なんとか仁川方面行きの電車には乗ることができた。線名は京仁線(キョンインソン)だ。
 さて、乗ったのは首都圏電鉄5000系。先ほど言い忘れたが、天安駅から乗ったのも5000系で、1号線ではこの形式の車両が 最も多い。前回ソウルに来た時に何気に撮ったのも5000系だった。それに対し、1号線開業時からあるのが1000系で、5000系 がステンレス車体なのに対し、こちらは鋼製である。また、動力(モーター)も異なり、1000系は抵抗制御、5000系はVVVF インバータ制御となっている。
 ついでにいうと、1000系、5000系というのは日本式の呼び方で、韓国(の鉄道ファン)ではこうは呼んでないらしい。それなら どう呼んでいるのかというと、1000系は抵抗車、5000系はVVVF車と呼ばれている。また、それぞれ1000系、5000系の 中にもいくつか種類があるが、初代1000系を初期抵抗車(全車廃車された)、新型1000系を中期抵抗車、新々型1000系を 後期抵抗車、5000系をVVVF車、新型5000系を新造VVVF車、またはトングリ(韓国語で丸型の意味。文字通り、この車両は 前面が丸みを帯びている)などと呼ぶ。通だと、初期抵抗車は“初抵抗”、中期抵抗車は“中抵抗”と呼ぶらしいが、ここまでくると結構 ディープな世界だ。ここでは日本式に1000系、5000系と呼ぶことにしておこう。車両は後に紹介しようと思う。
富平(プピョン)駅に停車中の新型1000系
(中期抵抗車)…急行朱安行と書いてある  さて、仁川方面に向かった電車は急行電車で、駅を何個か通過する。1号線の龍山〜朱安(チュアン)間は約20分毎に急行電車が 走っていて、急ぐ乗客にはとても便利だ。また、この区間も複々線になっていて、外側が緩行線(各駅停車)、内側が急行線と、日本で 言えば小田急線の梅ヶ丘〜和泉多摩川間みたいなことになっている。ただ、急行線を走っているのは必ず急行電車で、この電車が途中から 緩行線に渡ることはない。それぞれ独立した運用になっているようだ。
 駅を通過するので早いのだが、結局この電車は朱安駅止まり。何故ならここで複々線区間が終わるからだ。何もこんなに律儀にこの駅 止まりにしなくてもいいじゃないかと思うが、それは仕方がない。数分待って、各駅停車の仁川行きが来た。今度は抵抗車の1000系 みたいだ。ここまでくると、そろそろ自分がどういう車両に乗っているのか、わかってきたものである。

 さて、仁川駅に着いた。仁川市は人口約260万人で、何気にソウル、釜山に続いて韓国で3番目に大きい都市で あり、またここはソウルから一番近い港町でもあるのだが、その規模では釜山に続いて韓国で2番目に大きいという。仁川空港はこの 海の先、永宗(ヨンジュン)島に位置するが、直接船とかで行けるわけではない。
 せっかくなので、気分転換がてら駅を降りてみた。駅舎は韓国第3の都市のわりにはずいぶんこじんまりとした造りだったが、これは これで趣がある。また、京仁線は富平(プピョン)駅からもう仁川市に入っていて、仁川地下鉄も走っているということを考えると、 やはり仁川市は大きいのだと思いなおす。日本で言えば小さい横浜みたいな感じであろうか。
中華街入口から仁川駅を望む
お互い、道を挟んで反対側にある  今、横浜を例に出したのは、仁川が港町ということもあるが、ここには韓国で唯一の中華街も存在するのである。ますます横浜と似てる などと思ってしまうが、仁川駅を降りて真っ直ぐ正面に向かって行くと、もうチャイナタウン入口である。異国の地で、さらに異国情緒を 味わえるというのは何とも不思議な感覚だが、店や街の様子は中国そのものだ。だがエリア自体は狭く、少し寂れた感じもあったのだが、 なかなか面白い場所ではあると思う。今度はゆっくり来たい場所ではある。
 さて、駅に戻り、今度は仁川地下鉄に乗りに京仁線で富平駅へ。仁川駅の時刻表を見てみると、綺麗に6分毎に電車が出ている。しかも そのうち半分は1号線の北の終点、議政府北部(ウイジョンブプクプ)駅行きである。ここから議政府北部までは距離にして65kmぐらい だが、終点まで行く電車は各駅停車のみなので、約2時間かけての道のりである。片道に2時間もかけて走る列車がこんなに頻繁に出てる というのも、日本では珍しく感じる。昨日の地下鉄の時も思ったが、韓国の通勤電車は皆、本当に長い距離(時間?)を走る。
 さて、電車は富平駅へ。ここで仁川地下鉄に乗り換える。何度も言っているように、国鉄から仁川地下鉄への乗り換えだが、国鉄が 首都圏電鉄区間のため、中間改札は不要である。京仁線の富平駅は地上にあったが、ホームの階段を降りていって、仁川地下鉄は予想通り 地下にホームがあった。
 このように仁川地下鉄は切符を通しで買えるが、運営は仁川広域地下鉄株式会社が行っている。キョリョン駅〜東幕(トンマク)駅間、 総延長は24,6kmとなっていて、さらに北側に延伸中である。車両はソウルの地下鉄としては小さめのサイズになっていて、長さで 2メートル、幅で30センチぐらい小さい。これは日本の18メートル車(京浜急行電鉄や地下鉄丸の内線など)と同じくらいのサイズ なのだが、韓国の車両の幅に慣れてしまった私は、なんか小さいかも…と感じてしまった。
仁川地下鉄の車内 北の終点駅、キョリョン駅にて。仁川地下鉄の車両。
先頭車前面は、鉄道模型でそのデザインを検討したという  まず北の終点キョリョン駅に向かい、そして今度は南下し、南の終点東幕駅に向かう。地上区間はキョリョン駅付近ぐらいしかなく、 また、沿線に目立った観光ポイントも少ないので、それほど話題の対象にはならないし、ここで日本人観光客を見かけることもまずない のだが、車両のデザイン、特に前面部には結構目をひかれた。また、仁川地下鉄は韓国初の女性駅長の採用、駅構内のイベントスペース の貸し出し、車椅子対応型自動券売機の採用など、開業時から個性的な経営方針を打ち出しているので、その点では見所があると言っても 良いかもしれない。

 また少しウトウトしてしまい、東幕駅に着いた。地上に上がると、なんか特に何もない場所に出てきてしまったと いう感じだ。海にも近いので、開発途中のお台場に何となくダブって映った。ソウル地下鉄網を西側から攻めるには、あと地下鉄4号線の 国鉄乗り入れ区間、安山線(アンサンソン)、果川線(クヮチョンソン)を乗らなければならない。しかし、これらに鉄道だけで行こうと すると、東幕駅からまた富平駅に戻り、そして京仁線で九老駅に戻り京釜線で…と、かなり回り道になって、時間がかかってしまう。 しかし、この付近の地図を見てみると、安山線の終点鳥耳島(オイド)駅は、この東幕駅に結構近い位置にあることがわかったのだ。 歩いて行くわけにはいかないが、タクシーなら大した料金もかからなく行けるだろうと思ったのである。本当はバスがあったらベスト だったのだが、この東幕駅の雰囲気を見て、それは無いな…と判断した。
 駅近くに止まっていたタクシーに声をかけ、「鳥耳島駅まで大丈夫か」と聞くと、タクシーの運転手には首を横に振られてしまった。 あれ…無理なのだろうか。そしたらその運転手は、後ろの別のタクシーを指差し始める。あっちのタクシーなら行ってくれるということ なのだろうか。私は指差されたタクシーまで歩き、再度「鳥耳島まで」というと、運転手は少々悩んで、「OK」と言ってくれた。何なの だろう…そんな悩んで行く場所なのだろうか。
鳥耳島駅前の風景  地図上で見ると、東幕駅から鳥耳島駅までは直線距離なら結構近い。方向にして南東の方角へ向かうのが良いのだが、タクシーはまず 北側へと車を走らせてしまった。まさか勝手に回り道してる?とも思ったが、実はこの東幕エリアから鳥耳島エリアの間には、ちょっと した湾(というほどのものでもないが)あり、車はぐるっと回らなくては向こうに行けない…ということらしいのだ。だが、地図で見ると 確かにそうだったが、そこを渡る橋ぐらいはあったような気がする。その橋は有料(予想)だから通らなかったのか…それとも一般の車が 渡れる橋ではないのだろうか…それとも、やはり単に外国人旅行者ということで騙されていたのか…。ああ、こういうときに韓国語が 喋れたらなと思うが、いつかはこの真実を確かめに戻ってきてやる、…とも決心したものである。結局タクシー代は15000ウォン (1500円)ぐらいかかってしまった。初乗りが1600ウォン(160円)だから…うーん結構乗ったのだなあ。

 さて、そんなこんなで鳥耳島駅に着いた。辺りはマンションなどが建ち並び、日本の多摩センターや、千葉ニュー タウン中央みたいな雰囲気が出ている。もっとも、この鳥耳島駅まで電車が延びてきたのは2000年のこと。これから発展していく のは目に見えている。また、駅前に車がいっぱい停まっていたのも印象的だった。おそらく自宅からここまで車で来て、そして電車で 都心に向かうサラリーマンなどがいるのだろう。ソウルの通勤事情が少し垣間見えたような気がした。
 駅に入る。これから乗る電車は首都圏電鉄の車両で、昨日の夜、地下鉄4号線北の終点タンコゲ駅から乗った車両と同じだと思われる。 ここからタンコゲ駅までは71,5km。よく移動してきたものである。タンコゲ駅では地下鉄の車両のほうが多く見えた気がしたが、 乗り入れをしてるとはいえ、この付近で見る車両はほとんど首都圏電鉄(国鉄)の車両だ。  まず安山駅に向かう。ここには電車の留置線があったので、色々写真におさめることができた。この安山・果川線の車両は2000系 と呼ばれていて、先ほどの京釜線や京仁線の5000系のカラーを変えただけの車両だ。韓国では安山(果川)線VVVF車と呼ばれ、 さらに新型は安山(果川)線トングリと呼ばれているらしい…。5000系のトングリ車は、普通の5000系とは前面はもちろん、 内装も結構変わっているのだが、私が見る限り、2000系のトングリ車は前面部だけのデザイン変更にとどまっている気がした(…そう でないかもしれないが)。あ、ついでにトングリ(丸型)という言葉ですが、日本語のドングリとはまるで関係はないそうです。
2000系トングリ車。前面の
デザインだけが異なっている。 安山・果川線の車両、2000系
5000系とは同デザインである  安山駅を出発する。先ほどの鳥耳島駅では20分に1本ぐらいだった電車の本数も、ここからは10分に1本に倍増されているようだ。 いよいよ通勤路線らしくなってきたか。すれ違う電車も、首都圏電鉄の車両に交じって、たまに地下鉄の車両も見られるようになって きた。周りの景色も、高層マンション群が目立つようになってきて、もうソウルの通勤圏に入っているということは明白である。
 京釜線との乗換えである衿井(クムジョン)駅を過ぎると、安山線から果川線に変わる。といっても、路線名が変わっただけで、特に 他の変化は見られない。ただ、この先からは地下区間に入るようになった。地下に入るとさすがに飽きてしまう。やはり早起きは体に負担 なのか、またしても私は眠ってしまった。
 目が覚めたのは舎堂(サダン)という駅だった。この次の駅で降りたかったので、寝過ごすことはなくて良かった。しかし、路線には 変化があった。この1つ手前の南泰嶺(ナムテリョン)という駅で、地下鉄4号線に入ってしまったのである。それがどうした、ただの 乗り入れじゃないかと普通は思うだろうが、ここは大事な見所があった。
 前回書いたかもしれないが、韓国の鉄道は国鉄が左側通行、地下鉄が右側通行となっている。韓国は戦後、アメリカの影響を強く受けた ため、車や鉄道などは基本的に右側通行なのだが、国鉄は日本時代からのものらしいので、日本式(もとを辿ればイギリス式)で左側通行 なのである。では、この線みたいに国鉄と地下鉄が乗り入れている路線はどうするのか。ソウルの地下鉄は1、3、4号線がこれにあたる のであるが、まず1号線は、国鉄に合わせ全区間左側通行になっている。そして、3号線は地下鉄に合わせ、国鉄区間が右側通行になって いる。ではこの4号線と安山・果川線はどうなっているかというと、境の駅である南泰嶺駅の近くで、律儀にも上下線が左右入れ替わる! のである。
 こういった例は日本にはなく、是非その体験をしてみたかったのだが、ついつい寝過ごしてしまった。また、前回1号線に乗った時に、 地下鉄区間と国鉄区間とでは電圧が異なり、その区間を通過するとき交直切り替えを行うため、車内が一時的に暗くなるというのを 書いたが、実はこれ、この4号線にも当てはまる。しかも、この線はその切り替えを地下区間で行うというらしいのだ。つまり、車内は 結構真っ暗になるということだ。これも体験してみたかったが、あえなく気付かず熟睡…。またの機会にしたいと思う。

 このあとは総神大入口(チョンシンデイプク)駅で7号線に乗換え、この線の西の終点温水(オンス)駅へ。ここで また京仁線に乗換え、九老駅を過ぎ、次の新道林(シンドリム)駅へとやってきた。慌しく書いたが、途中九老駅周辺ではまた物売りの おっさんが、今度はスーパーボール?みたいなものを宣伝しに車内に乗り込んできていた。彼等の拠点駅は九老駅なのだろうか…
 さて、この新道林駅では京釜線、京仁線、そしてKTXやセマウル号、ムグンファ号も走る長距離線の列車も見られるため、鉄道好きに とっては堪らない駅だ。線路は6本が並行していて、ソウル駅方面を見て左側から首都圏電鉄各駅停車の上下線、首都圏電鉄急行線 (京釜線急行、京仁線急行)上下線、そして長距離線の上下線(ホームは無い)という感じになっている。ついでに、九老〜龍山駅間は 全部このような感じになっていて、急行電車はこの間すべての駅に停車するので、お客は基本的には本数の多い各駅停車側のホームに 多くいる。確かに、急行電車は1時間に4本ぐらいであるが、各駅停車なら4,5分待てば電車はやってきている。
地下鉄公社の車両1000系
1号線でも見られる機会は少ない 首都圏電鉄新々型1000系
前面が5000系にそっくりである  ここではせっかくなので、色々な車両の紹介をしよう。まず左端の写真が地下鉄1号線の車両である。何度も書いているように地下鉄 1号線は国鉄京釜線や京仁線と乗り入れをしているが、国鉄の方が乗り入れ区間が長いため、やってくるのは緑色基調の国鉄の車両 ばかり。そんな中、少数派の存在であるのがこの地下鉄1号線の車両、1000系である。この車両の赤色のラインカラーは、この線では 結構目立つ存在で、乗れたらラッキーぐらいの感じかもしれない。
 その右の写真が首都圏電鉄新々型の1000系。5000系に似た前面が特徴だが、ステンレス車ではないために1000系である。 なお、内装が5000系風になっている車両もあれば、1000系のままの車両(車内の写真がなくてすいません)もある。
 左下に行って、これは首都圏電鉄の新造5000系、いわゆるトングリである。5000系のこのタイプは、車体の側面も微妙に デザインが違っており、この車両が来たら、ああ、新車が来たな〜という感じがする。だいたい5000系(2000系もそうだが)の ドアのガラス部分は小さすぎる。このトングリ5000系はそんなことはない。きっと子供心的に喜ぶのは、こっちの車両であろう。
 右下の写真がセマウル号である。いまや主役はKTXに奪われたが、豪華さではこちらの方が上。今ではKTXを補完するという役割で 地方都市をくまなく走っているほか、まだソウル〜釜山間でも活躍中である。KTXの2時間40分に対し、こちらは5時間弱の道のり であるが、ゆっくりと豪華に鉄道の旅をしたい人にはお勧めである。

新造5000系“トングリ”
愛嬌のあるデザインである 新道林駅を通過するセマウル号。KTXが
できても、いつかは乗りたい列車である。

 さあ電車紹介も堪能したところで、次は地下鉄2号線に乗ろうと思う。もう何度も乗っている2号線だが、この線は 全線地下鉄公社に属し、市内を一周する本線と、2本の支線から成り立っている路線だ。まずはここ新道林駅〜カチ山(カチサン)駅間の 支線区間から乗ることにしようと思う。
 本線は10両編成だが、支線は6両編成だった。ちなみにもう1つの支線は4両編成だという。車両は2000系という、この2号線が 開業(1980年)してから走りつづけている車両であるが、韓国の車両は基本的に寿命を20年としているため、今年2005年の 6月から、順次新型車両に置き換えていくようである。
 この支線を往復し、再度新道林駅から、本線の内回り(右側通行なので、時計回り)電車に乗って、堂山(タンサン)駅へ向かう。 この駅は特に乗換えがある駅ではないが、私はここはぜひ降りてみたい駅だった。なぜここで降りたかったかというと、前回の海外日記を ご覧になってほしいのだが、私が初めて韓国に来た時、ソウル市内へ向かうバスのの中から見た景色の中で、特に印象が強かったのが この区間なのである。そこは2号線が漢江(ハンガン)を高架橋で渡るという区間で、地下鉄でも地上区間であり、また、結構のどかな 感じの風景だったのである。
ドーム型の屋根が特徴の国会議事堂 漢江を渡る地下鉄2号線。空港からソウル
市内に向かうバスからも望める景色である  実際私は駅を降りて、漢江のほとりまで行ってみた。頭上には立派な2号線の高架橋がそびえる。もう太陽が西に傾きかけてて、走る 電車も西日を浴びて、とても心に残る絵をつくり上げていた。ここは東京の荒川を埼京線が渡って行くシーンにとてもよく似ている気が する。周りの高層マンション群とは対照的に、のどかに時間が流れる漢江との対比が面白い。また、対岸の遠くにはソウルタワーが、 そしてこちら側の500メートル程東側には国会議事堂も望める。ずーっと電車に乗り尽くしだったので、良い気分転換になったと思う。 というか、これこそ自分流の癒しの過ごし方なのだなあ…とも思ってしまった。

 さて、駅に戻って、乗り尽くしの旅?を続けることにしよう。陽が傾きかけているということは、時間もそれなりに 経っているということなのだ。今度は乙支路3街(ウルチロサムガ)駅に行く。来た電車は先ほどとは違うデザインの車両で、これは 3号線に使われている車両と同じ車両なのだが、これも2000系と称されている。この車両は元々4号線開業時に投入された車両で、 2号線開業時から走り続けている2000系 こちらも2000系だが、もと4号線の車両。
3号線にも同じデザインの車両が走っている。 後の果川線・安山線の開通の時に2号線に移ってきた。恐らく、交直流対応ではなかったからだと思われる。それにしても、明らかに デザインが違うのに同じ2000系。要するに、2号線に使われている車両は全て2000系と呼んでいるといったところであろうか。 ちなみに、同じデザインで3号線に走っている車両は、3000系となっている。ここまでくれば、韓国式の車両名称の付け方もわかって きた気がする。
 乙支路3街駅からはその3号線に乗る。せっかくだからその3000系に乗ってみたかったが、来た車両は乗り入れ先の国鉄の方の 車両だった。しかし、この車両は地下鉄1号線や現在の地下鉄4号線の車両と同デザインである。もうどれが地下鉄車両で、どれが国鉄の 車両だかわからなくなってきた。そんなことを気にしている人もあまりいないだろうが、とにかく終点大化(テーファ)駅に向かうべく、 その電車に乗り込んだ。
 結構車内は込んでいた。それもそのはず、もう時刻は19:30ぐらいになっている。ちょうどラッシュの時間にもなっているだろう。 旧杷撥(クッパバル)駅を過ぎると地上に出て、チチュク駅から国鉄区間である一山線(イルサンソン)に入ると、ようやく車内も落ち 着いた感じになってきた。しかし、辺りはどんどん暗くなってきているようだ。これではせっかく地上区間に出ているのに勿体無い。 右上のほうの2000系の車内
広々としていて、座席は金属製だった いわゆる郊外に来たという感じだったが、なかなか外を見て確かめるということはできなかった。
 途中、大谷(テゴク)駅というところで降りる。この駅では国鉄京義線(キョンウイソン)との乗換えができる駅だが、京義線は 首都圏電鉄網には組み込まれていなく、ディーゼル列車が1時間に1本ぐらいしか走っていないため、ソウル駅から直通で来られるとは いえ、あまり目立った乗換えはない。
 一山線の駅は高架駅で立派だったが、京義線のホームはというと、地平で単線で屋根もなく、ちょっと寂しい雰囲気が漂っていた。 しかし京義線は、元はと言えばソウルから北朝鮮の平壌(ピョンヤン)経由で新義州(シンウィジュ…北朝鮮と中国の国境の駅)を結ぶ 路線のことで、戦前・戦中までは日本からヨーロッパ方面への重要なルートのひとつであった。その後の朝鮮半島の南北分断で、この路線 も38度線前後で分断せざるを得なくなったが、とにかく、京義の義は北朝鮮の新義州ということなのだ。何とも言えない気持ちになる。 もちろん、北朝鮮側もこの路線は存在するが、京義線はソウルを中心とした呼び名なので北朝鮮国内ではそう呼ばれておらず、平壌〜 新義州間は「平義線(ピョンインソン)」、そして平壌から南方向に伸びている路線は「平釜線(ピョンプソン)」と呼んでいる。釜山の 「釜」をとっているのであろう。
一山線のホームから見た京義線の大谷駅ホーム
この路線がかつて平壌まで結んでいたと思うと感慨深い  さて、そんな中、偶然にもソウル発の京義線トングン列車がやってきた。臨津江(イムジンガン)駅行きの列車で、38度線のかなり 近くまで行くことができる。2002年には京義線はこの臨津江駅からさらに3,7km延長され、都羅山(トラサン)駅まで開業したが、 実はこの都羅山駅、なんと38度線の両側2kmのエリアである非武装中立地帯(DMZ…DeMilitarized Zoneの略)の中に存在する。 これは2000年6月、韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記の南北頂上会談の開催により、現在分断されている南北京義線の 連結が合意され、それを受けての韓国側の延伸工事によるものである。しかし、依然として都羅山駅は軍の管理化にあるため、京義線を 利用しても自由に往来する事はできず、その手続きは少し面倒である。今回は訪れる事は不可能だが、いつか必ずレポートをしてみたい ものだ。そんな思いで臨津江行きの列車を見送った。
やっとの思いで着いた大化駅
特に何も特徴のない街だった…  物思いにふけったところで、再度大化駅を目指す。今度は地下鉄公社所属の3000系だ。確かに先ほどの2号線の、もと4号線車両の タイプと全く変わらなかった。だが、車内の座席はクッション製だった。これはいずれは金属製に交換されてしまうのであろうか…。 電車は高架で進んでたと思ったら、また地下に潜り込んでしまった。高陽(コヤン)市内に入ったためである。大谷駅からは13分、 乙支路3街駅からは約50分の道のりであった。ホントにソウルの地下鉄は1本1本が長いが、地図を見てみるとこの高陽市は、金浦空港 から漢江を挟んで反対側に位置する市で、距離にしたらそうでもないのかなとも思った。とにかく各駅停車しかないから予想以上に時間が かかってしまった。もう時計は21:00を回っていた…。

 駅も一応降りてみたが、これといって何を話題にしたら良いやら…。そういえば今回の鉄道の旅の出発点になった、 5号線の傍花(パンファ)駅周辺にちょっと雰囲気が似てるかなとも思った。直線距離にしたら大して離れていないし…。だが何となく 原点回帰的な気持ちにもなったりした。
 この時点で21:00過ぎのため、あと終電までに全線を乗り通すことは不可能だ。まだまだ結構残っているもので、改めてソウルの地下鉄 網の広大さを思い知らされた。だが、残りの時間をどの路線に費やすかをいうのも大事だ。とりあえず中途半端に残っている6号線は 制覇できそうである。私は6号線に乗るため、3号線でヨンシンネ駅に向かうことにした。
 大化駅から乗った車両は国鉄の車両だった。そして京義線乗換えの大谷駅を過ぎ、大化駅から30分ほどでヨンシンネ駅に到着する。 乗換駅なので、車内にはいつものようにクラシック音楽が流れる…。そこで私は気付いた。昨日今日と、私は国鉄の車両から地下鉄公社 の車両、そして都市鉄道公社の車両にも乗っているが、会社によってこの乗換え時のメロディが違うのではないかと。
3000系の車内。2000系とは違い、
クッション製の座席が維持されていた。 地下鉄3号線・一山線を走る
地下鉄公社所属3000系  具体的には、国鉄と都市鉄道公社の車両がクラシック(互いに曲は異なる)、地下鉄公社の車両がウグイスの鳴き声という感じだ。 これは路線ではなく、その車両の受け持ち会社によって異なるため、今私が乗っている3号線でも、国鉄の車両ならクラシックが流れる という感じだ。いやあ、気付くのに結構時間がかかってしまったが、わかるとこれはこれで嬉しいものである。また、それぞれ終点の 駅に着く時はどの会社の車両でも別のクラシックの曲が流れるというのもわかった。どんどんソウルの地下鉄通になっていく自分がある 意味怖い。
 とにかくこの駅で地下鉄6号線に乗換える。ここから昨日通った新堂(シンダン)駅まで行けば、6号線は全線制覇になるわけだ。 ところで、この付近の6号線はちょっと変な路線になっている。路線図を見れば一目瞭然なのであるが、新堂方面から来た電車は、鷹岩 (ウンアム)駅から駅村(ヨクチョン)駅、佛光(プルグァン)駅、トクパウィ駅、ヨンシンネ駅、亀山(クサン)駅、鷹岩駅と、一方 通行でぐるりと回るような形態になっていて、一見投げ縄のような不思議な線路配置をしている。ここで注意しなければいけないのは、 国鉄3000系の車内 こちらは国鉄3000系。デザインそのもの
は地下鉄公社1号線、4号線と同じである。 亀山駅からヨンシンネ駅に向かうなど、ループ線を逆行するケースである。なんと、やってきた電車に乗っても一方通行なので直接は 行けず、鷹岩駅で別のループ線を走る電車に乗換えなければ行けないのである。変わった例とはいえ、ここもちゃんと乗らなくては全線 制覇にならない。私は今言った通りにちゃんと一周してから、新堂方面へと向かった。これでまた時間がかかってしまったのも事実で あるが…。

 一周回ってたりしたので、ヨンシンネ駅からは1時間ぐらいかかってしまった。もう23:00を過ぎている。疲れも あるし、これはもう帰路に着くしかないだろう。2号線に乗換えて東大門運動場(トンデムンウンドンジャン)駅へ(もう方向は間違え ない!)。ここで4号線に乗換え、明洞駅へと戻ってきた。このときの時刻は23:30前。朝6:00前から乗っていたから、約17時間半の 長丁場だったわけだ。日本でもこれくらいの乗車はよく経験していたが、我ながら大したものだ。今回乗った線はKTX(京釜高速線)、 京釜線、京仁線、果川線、安山線、一山線、地下鉄2号線〜7号線、仁川地下鉄…である。そのうち京仁線、果川線、安山線、一山線、 地下鉄6号線は全線制覇できた。地下鉄8号線、国鉄盆唐線(プンダンソン)には、かすりもしなかったのが悔しい。しかも、何気に 地下鉄1号線にも乗っていないのが意外だった。地下鉄4号線は、あとソウル駅〜総神大入口駅間の6駅分を乗れば完全制覇できたのが 惜しい感じだ。
 さて、疲れた。もうご飯食べて宿に帰って寝たい感じだ。私はレストランを探して明洞の街を歩いていると、30代風の韓国人サラリー マンに、タバコの火持ってますか?とジェスチャーで言われた。私は“持ってない”みたいな素振りをしたら、「ノー、コーリア?」と 言われ、「イエス」と答え、「日本人」ですかと今度は日本語で言ってきたので、「はい」と答えた。どうやらその人は仕事でよく日本に 行くことがあるらしく、日本語が喋れるというのだ。何だか人懐っこかったので、せっかくなので良いレストランはあるかと聞くと、 じゃあ一緒に行きましょうということになり、その人に案内された店に行った。
 そこで私はビビンバを食べ、お腹も満足。その人に「韓国には何しに来たの?」と聞かれ、「電車に乗りに来た」と言ったら予想通り 驚かれ、「不思議な人だなあ」と言われる始末。別にいいじゃないか。そして、またしばらく話していると、突然、その人がソープに 行きたいと言い出した。「韓国に来た日本人を、私はよく接待しているんです」とか何とか言っていたが、いきなり怪しい話しになり 始めたので、「結構です結構です」とか言って、私はその人とは別れた。なんでも、その人はまだ30歳半ばで独身。両親とまだ一緒に 暮らしているらしく、早く家に帰ると親に『結婚しろ結婚しろ』とか言われるので、夜遅くまで風俗店等に行ったりしては時間を潰して? いるのだそうだ。で、その人は1人で行くの恥ずかしいから一緒に行こう…ということらしいのだ。もうよくわからない。もとから疲れて いたが、この一連の出来事でさらに疲れてしまった…。私はとっとと旅館に帰ってすぐ寝た。やれやれ。

  2005年5月25日(3日目)

 さて、やっと最終日(といっても3日目だが)になった。昨日はよく眠れたので気持ち良い朝だ。今日は前回の ように、朝方に電車に乗りに行くような真似はしない(やろうと思えば地下鉄4号線の残りの区間を乗ることぐらいはできたかもしれ ないが)。空港行きのバスに乗って、真っ直ぐ帰ろうと思っている。
ソウルタワーが望める、鶏林荘に入る前の道
一応看板も出ているので、案内的には安心だ  そういえば昨日の韓国人に、仁川空港行きのバス乗り場の場所を手書きの地図で書いてもらったのを思い出した。まず鶏林荘があって、 カタカナで“パシピク”と書かれたホテルがあり…。うーん、これはパシフィックホテルと書きたかったのだろうな…。少し不安が よぎったが、そのメモを頼りに私は3日間お世話になった鶏林荘を後にした。旅館のおばさんは別れ際に「マタキテ」と言ってくれた。 何だか名残惜しくなる一言ではないか。私は「また来ます!」と言った。
 さて、地図通り道を辿ると、確かに空港行きのバス乗り場は見つかった。良かった、間違ってはいなかったのだ。今回帰りの飛行機の 便は、前回と同じOZ104便、仁川空港11:30発。今、時間は朝の8:30ぐらい。もうバスは停留所に止まっていたので程なく出発。どうやら 時間に問題なく着きそうである。

 ソウル中心部では少し渋滞もあったが、バスは難なく9:30には空港に到着。身軽な荷物を持って、さっさと建物の 中に入る。アシアナ空港のカウンターを見つけ、早速チェックイン。もちろん預け荷物は無いので、ここでも1分ほどで手続きは終了。 まだ窓側の席が空いていたので、その席をリクエストしといた。
出国手続きを済ますと
目の前には免税店が広がる  ここでも成田空港と同様時間がかなり余ってしまった。だが外国の空港ということで、見るべき物はたくさんある。あいにく空港デッキ という場所は存在しないが、この空港の窓ガラスは大きいので、飛行機をまったく望めないということはない。まあとりあえず出国手続き をし、のんびりと免税店巡りや、そして飛行機を眺めることにしようではないか。
 まあここで免税店のあれこれを説明してもしょうがないし、前回の海外日記8で空港の免税店の素晴らしさは伝えたので、ここでは やはり空港から眺めた飛行機について書きたい。外国の空港で面白いのは、当たり前なのだが現地の航空会社が主力ということだ。 成田空港では日本航空の飛行機ばかりならんでいたターミナルが、ここでは大韓航空やアシアナ航空が主体だ。もちろん成田でもこれらの 航空会社は見ることができるが、やはりこれだけの数が揃っている姿は圧巻で、今更ながら海外に来たのだなあと思い起こせてくれる。 また、日本では見ることのできない航空会社が見れるのも嬉しい。また、日本で見慣れた航空会社でも、ここでは使う機材の種類が異なる など、見所はたくさんある(マニア的にだが)。乗る飛行機の出発まで2時間弱あったが、私はほとんど飽きることがなかった。ある意味 幸せな人間なのだ。
アシアナ航空ボーイング777機
もうこの機種に乗るのは3回目だ  さて、これから乗る飛行機は前回と同じ便なので機材も同じ、ボーイング777型だ。何度も書くがこの飛行機は各シートにパーソナル モニターを備えているので、機内では退屈いらずなのだ。私は窓側の席だったので外を見ることもできる。何だか帰りなのにワクワク してしまうが、改めて今回の旅を振り返ると、今回の旅は新鮮だった。何から何までひとりで、常に自由だったということもあるが、 とにかく楽しかった。もっと早く経験しておけばなあ…という気分にもなったが、確実に私はまた、こういった形態の旅をすることに なるだろうという確信が持てた気がした。

 さて、飛行機は定刻通り出発。今日は北側からの風なのか、北西に向かって離陸して行った(飛行機は常に、向かい 風に向かって離陸していく…着陸も同じ)。日本は東の方角のため、右に旋回すればいいような気がするが、飛行機は左に旋回した。 恐らく、右に旋回すると北朝鮮の領空に入ってしまうからではないかと思われる(あくまでも予想だが)。それほどまでにソウル市は 北朝鮮に近いということだ。地図で見ると、距離的には50kmぐらいであろうか。距離は近いが遠い国。また私の心は複雑な気持ちに なった。
 飛行機は順調に高度を上げている。左に旋回して朝鮮半島を横切り日本海へ。そしたらもう日本の領空である。機内ではもう機内食の 準備がされてて、(来た時と同じメニューだが)最後の韓国料理に舌鼓を打つ。また、パーソナルモニターは現在地を示す画面に変え、 これから見えてくる日本列島を、空から眺めてみることにした。
 私は左側の席である。そうすると、まず最初に見えてくる日本の陸地はどこなのだろう。このまま行けば山陰地方にぶつかるはずで あるが…。そして、程なく陸地…というか、島が見えた。2つの島が並んでいる。どうやら、隠岐諸島のようだ。隠岐は島根県に属する ので、山陰地方に間違いはないのだが、一番最初に見える日本がこのような小さな島だったとは…ちょっと意外だった。…と言っては、 隠岐諸島を望む。写真奥が島後、
写真手前が島前と呼ばれる。 天橋立。写真中央が宮津湾 隠岐の人に失礼かもしれないが…。
 そこを過ぎると、いよいよ日本列島に入る。まだ山陰地方のようである。この地方は目立った都市が少なく、海岸にまで山が迫出したり しているので、見た感じでどこどこというのは掴みにくい。だが、確実にわかった場所があった。日本三景のひとつ、天橋立である。 上空から見るとその独特の地形がよくわかる。写真だとわかりにくくなってしまったが、宮津湾の左側が細い砂嘴がそれで、自然の 不思議さを感じる地形でもある。
 飛行機はさらに巡航を続ける。天橋立は京都府なので、今は関西の上空である。そしてじきに、大きな湖が見えてきた。日本最大の湖、 琵琶湖だ。琵琶湖に対して今さら説明することはないのだが、やはり大きい。飛行機は湖の南側を飛んでいるのだろう。琵琶湖全体が 望めるような感じで見ることができた。
 そしてさらに進むと、飛行機は伊勢湾上空に出る。もう名古屋である。そして眼下には、今年2005年1月に開業したばかりの セントレア、中部国際空港が目に入ってきた。セントレアは関西空港と同じく、海上に設置された埋め立ての空港であるが、上空から 眺めるとその形が手にとるようわかる。また、かなり小さいが飛行機が離陸していくのも見えた。これはなかなか面白かったが、上空から 見るとセントレアと名古屋市内、同時に望むことができるので、その空港の大きさや市内までの距離というのも微妙にわかる。今のところ セントレアから名古屋駅までは電車で最速28分らしいが…。
セントレア(中部国際空港)と
伊勢湾上空。奥が名古屋市内。 結構全体が見渡せた琵琶湖上空  ここまで日本列島を東に、というか東南東方向で進んできた飛行機だが、ここで太平洋に出たため、進路を東に変える。こういった 進行の変化もパーソナルモニターがあれば常に確認できるので頼もしい。私は機外の様子と、パーソナルモニターの現在地確認の行ったり 来たりで大忙し?だ。
 この後は日本列島の南海岸沿いを並行して進んで行くという感じだが、そうすると富士山が見えてくるんじゃないかと期待をした。 しかし、残念かなこの辺りの陸地は雲に覆われてしまっていた。まだ海の上には雲はないのに…惜しい…。やはりこの時期ではクリアな 空は期待できないのだろうか。以前私は東京から大阪に飛行機で行って、その途中窓からはとても綺麗な富士山が見渡せたが、その時期は 確か1月と冬だったか。とにかくそれ以来、この付近を飛行機で飛んでいると富士山が気になってしょうがない。今回は残念ながら見え なかったが、またの機会に賭けてみたいと思う。

 この辺りになると飛行機はスピードを緩め、少しずつ高度を落としていくようになる。パーソナルモニターには 高度も常に表示されているため、その確認もすることができる。だいたい高度が下がり始めて着陸するまでは30分ぐらいである。 飛行機の巡航高度というのは約1万メートルのため、ここからゆっくりゆっくり、高度を落としていくのだ。
高度を下げていく途中で大島が望める 利根川の河口が見えてくると
成田空港到着はもうすぐである  さて、そんな中、機外には大島が目に飛びこんできた。もうなんだかんだで東京都なのである。相当先には薄っすらと東京湾も見え たが、写真で確認はできそうもない。飛行機はそのまま飛んで、千葉県の房総半島の南を通過、少し通り越して思いっきり左に旋回を する。そして銚子の方まで飛んで行き、左、左に旋回して、成田空港には北側から着陸(成田は南風だったということだ)。色々 あったが、ここで約2時間の空の旅は幕を閉じたわけである。

 と、今回はかなりマニア的な海外日記になってしまったが、たまにはこういうものも良いなと思った。というか、 ひとりで行かなきゃこういったレポートはできないと思う。今後もたまにこういう旅がしたい。しかも、今回はレポート書き自体も 楽しかったのだ。まだまだ行きたい国はたくさんある。それが、どういう内容のレポートになるかは今のところまだわからないが、 最終的には私はこういう感じを求めてたりするので、その都度暖かく見てやって下さいませ。

 ついでに、今回の海外日記は今までで最長でした。写真も51枚掲載と最多。3日間だけなのに…。それだけ この旅に費やした情熱がすごかったということですね。



  今回のお勧めリンク先

 ●ユナイテッド航空(アシアナ航空のマイレージを貯めるのにもお勧め) … http://www.unitedairlines.co.jp/jsp/ja/index.jsp

 ●ソウルナビ(ソウルの情報、ホテル等の予約に) …http://www.seoulnavi.com/index.html#

 ●韓国鉄道案内… http://www.jttk.zaq.ne.jp/korail/


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