2005年3月25日(1日目)
“また上海でのキーボードお願いします”…というメールが来たのは3月の始め。これまた海外演奏に行くに しては急な話しではあるが、やはり単純に嬉しい。以前5月にも行った中国ツアーの件である。ボーカルの李浩(リーハオ)君率いる “Error Message”というバンドのサポートで、25日から28日まで上海に滞在し、ライブは26日と27日に行うということだ。以前 とメンバーは多少変わっていて、ボーカルの李君、ギターの鈴木さんは変わらず(まあバンドの設立者だし)、ベースとドラムの人は 違うメンバーになっていた。また、“Error Message”というバンド名はやめており、単に“李浩”としているそうだ。このほうが人が 集まるらしい…成る程。
そんなわけで成田空港に集合したわけだが、実は今回我々が出させていただく上海ARK(前回と同じ)という
ライブハウスでは、我々も含め日本からのバンドが2バンド出演する予定で、もう1つは“媛麗(エンレイ)”というこちらは中国人女性
のボーカリストのバンドが出るということらしい。そして、媛麗ちゃんは李君と共に先に上海入りしており、残りのバンドメンバー同士で
上海に来てくれ、という説明を聞いていた。しかも、どうやら他のメンバーの皆さんは中国にツアーで行ったことは無いらしく(というか
私とギターの鈴木さん以外初めてだろう)、彼等の案内役になってほしいとまで言われていたのである。
これは結構プレッシャーである。何とか成田空港で合流できたが、媛麗バンドの皆さんは全部で5人、そして李君バンドが私と鈴木さん
を入れて4人…。つまり合計9人の団体行動の案内である。特に飛行機のチェックインが大変だった。前回もそうだったが、我々は楽器と
いう大荷物、そして壊れ物を抱えている。これが9人分となると、やはりそれなりの時間がかかってしまう。媛麗ちゃんバンドの方達は
この日が初対面でもあったため、なんだかんだで気をつかってしまっていた。何とかこのツアー中に和めれば良いのだが…。
全員のパスポートを預かりチェックイン、そして航空券を発行してもらい、それぞれの人に返す。「では、荷物検査 を受けて出国しましょうか」、「搭乗口は何番なので、シャトルという乗り物になってください」、「免税店だったらこの建物と、あ、 向こうの建物にもありますよ」…などと色々言いながらも、自分も買い物をする。結果的には時間にギリギリということもなかったので 良かった。飛行機に乗る前、鈴木さんに「今回は結構大変そうですね」と言った。鈴木さんは無言でうなずいていた。
今回乗る飛行機は中国国際航空(エア・チャイナ)、中国の大手航空会社の代表的なうちの1つだ。かつて中国には
中国民航という国営の会社が国内線、国際線のすべてのネットワークをはじめ、使用事業航空など中国の航空事業のすべてを受け持って
いた。しかし、国際競争力強化の推進、国内線の地域の実情に合う運行をということで、中国政府はこの会社を9つに分割させた。日本で
言えば、以前の国鉄が旅客鉄道で6社に分割されたような感覚であろうか。まあ9つに分割といっても中国は広いため、1社当たりの
テリトリーはかなり広い。そしてこのうち、北京を拠点にしているのがエア・チャイナで、中国の国内幹線とほとんどすべての国際線を
引き継いだのも、このエア・チャイナなのである。中国の代表と呼ばれるわけである。2002年には中国国内航空再編を受けて、中国
西南航空と統合。より太いパイプで日本と中国を結ぶこととなって現在に至っている。
こんな航空会社だから、私はワクワクせずにはいられない。また、私は中国の航空会社に乗るのも初めてだった。席は28Aで、窓側の
席っぽいが、ここは窓の無いシート(たまにこういう席がある)だった。しかしドアのすぐ後ろの席で、前に座席は無く、足元が広々と
している席でもあった。また、俗に“お見合いシート”と呼ばれる、スチュワーデスと向かい合って座る席でもある。
私の隣の席には、媛麗ちゃんバンドのベーシストの方が座っていた。「今回はよろしくお願いします」と挨拶を交わす。この方は元々
アコースティックベースの方で(今回はエレキベース)、ジャズをやることが多いそうだ。私もジャズをよくやるので、すぐにジャズ談議
となった。話しが合いそうで良かった…。また、今回のツアーは急に決まったらしく、なんとリハーサルはまだ1回もやっていない!との
ことだった。「今回のツアーで、色々他の仕事とかキャンセルしたでしょ?」と聞かれたが、成る程、私みたいにバタバタと上海行きが
決まってしまった人は多そうだなと思った。
早速機内食が出る。チキン or フィッシュ?と聞かれ、フィッシュと答えたが、なんと中身は“うな重”だった。といっても、正方形
ぐらいの大きさに切られた鰻が二切れ入っているだけだった。これを“うな重”と呼ぶかは別にして、大して美味しいものではなかった。
うなぎを食べる習慣があるのは、日本と中国だけらしく、そのためにこのメニュー内容になったのかはわからないが、これを中国人は日本の料理“うな重”と思ってしまうのだろうか。
だとしたら、かなり誤解を招く代物だ。エア・チャイナは、中国の中ではいち早く機内食に和食を取り入れたエアラインだが、あと一歩な
感じもする。そういえば、この飛行機は日本語のアナウンスをしない。こうみると、日本人が中国に行く時に使うというよりは、中国の
人が日本に行く時に使う…ようなサービス内容になっている感じも受ける。確かに日本からの中国路線は、日本人と外国人(中国人)の
客の割合が五分五分になっている路線でもある(グアム線なんて、9割以上日本人だ)。明らかに以前に乗ったJALとは違う雰囲気
だったが、これも良い経験か…。
上海浦東(プードン)空港に到着。飛行機から降り、入国審査場までかなり歩かされ、そして入国審査場は相当な
長い列!ここも既に中国っぽい風景なのか?と思う。何とか抜け出し、今度は荷物受け取り。我々の荷物の量もまた相当なものなので、
この間に私が代表して皆さんの分の両替をしてくることになった。9人分だからかなりの金額になるはず…と思うが、ここは物価の安い
中国。「4日間じゃ、多くて1万円ぐらいしか使えないですよ」という鈴木さんの声に、一同納得して1万円を渡してくれた。しかし、
鈴木さんは5千円のみだった。まあ、お土産も買わなければこんなものだろう。9人分で10万円弱ぐらいだった。
両替が終わり、前回と同じく迎えのワゴン車が来ていた。実は今回はこのワゴン車さえも、本当に来てくれるのかどうか不安な面が
あったらしい。どうやらこのツアーに至るまで本当にゴタゴタしていたようである。もし前回と同じワゴン車が来てくれても、今回は
2バンドで9人。大きさによっては乗れないんじゃないかという心配もしていたのだが、実際は結構大きめの車で来てくれていて、何とか
ホッとできた。
前回と同じ道を通って上海の中心地へと向かう。相変わらず運転は荒い。今回は、台湾を経験した上での中国入りとなったが、やはり
本場は違う…と思う。台湾の荒々しさなんか目ではない。車内でも、中国の運転の荒さに戸惑いを受けているメンバーの空気が伝わって
くる。それは何となく愉快ではあるが…。
日も暮れてきて、今日泊まるホテルに到着。今日…と書いたのは、明日以降は泊まるところが別なためだ。今日のは前回と同じ系列、
ASCOTT HOTELというホテルだったが、場所が前回とは違っていた。恐らく上海にも何軒かあるのだろう。実は明日以降泊まる
ホテルは知らされていたが、今日泊まるホテルは、これまた今の今まで知らされていなかったという。つまり、ホテルに着いた今、自分の
泊まるホテルを知ったわけだ。結構ギリギリな感じで進行している気もするが、この先大丈夫なのだろうか。
そしてやっとホテルの受け付けでチェックイン…、しかしこれも自分達でやらなければいけないため大変だ。なにせ、誰の名前で予約を
しているかも知らないのだ。ここは、この上海ツアーの企画者の名前を言ったらわかってくれ、李君達もこのホテルに泊まっていたことを
教えてくれた。なんか近付いてきている感じではないか。部屋は3部屋とってあるらしく(そのうち2つは中で繋がっているらしい)、
キーカードも受け取りエレベーターへ…。その時「ごめんごめん遅くなってー!」という聞き覚えのある声が…。
前回の上海の海外日記の時に、“いわば Error Message の専属マネージャーさん”という形で紹介した、板屋美雪さんである。この方
はもう上海に住んでいて、確かに以前身の回りの事から凄いお世話になっている。また、私が行ってない頃から李君や鈴木さんなどが
お世話になっている方でもある。もうこの方がいれば安心だ。鈴木さんも、媛麗ちゃんバンドの方達に「え〜、この方は板屋さんと言って
…まあとにかく天使みたいな方です」と紹介してたし…。いやもうその通りですね。
板屋さんに聞くと、李君と媛麗ちゃんは今はイベントに参加しているらしく、ホテルにはいないらしい。また、
1日目がここのホテルになったのも、2日目以降泊まる予定のホテルが今日は空いてなかったので急遽ここになった、というのも教えて
くれた。でもこのホテルも豪華だったので、ずっとここでも構わない気はしたが…。
早速「お腹空いたでしょ?」との板屋さんの言葉。前回に引き続き、媛麗ちゃんバンドのメンバーの皆様方との会談?も含め、また
美味しいレストランに案内してくれることになった。板屋さんは、当たり前だが中国語がペラペラなため、本当に頼もしい。やってきた
のは庶民風なレストランだったが、こういうところが美味しかったりするものなのだ。我々は中国語がさっぱりわからないため、オーダー
は全て板屋さん任せ…。相変わらずお世話になりっぱなしだ。
中国のビール、青島(チンタオ)ビールでとりあえず乾杯、「今日はお疲れ様でした。また明日頑張りましょう!」ということで、
それぞれ食べ物をつついていく。ビールも美味しいが、やはり本場の中華料理は美味しい!炒め物はホントに中華に限ると思う。その
美味しさは日本の比ではない。また鶏肉のような、肉全般も良い。日本ではないような味付けがされていて、またこれが病み付きになる
のだ。知らないうちにビールが進んでしまう。
このように我々が料理に舌鼓を打っていると、「お疲れ〜!!」というハイテンションな声が聞こえてきた。イベントをし終えた李君の
姿だった。鈴木さんも言っていたし、私も思っているのだが、中国にいるときの李君は、はっきりいって別の人みたいだ。日本でも別に
低いわけではないのだが、かなりのハイテンション…、やたらイキイキしているように見える。まあ李君は中国の西安生まれだし、上海
にも何年か住んでいたから、上海に行く(帰る?)というのは嬉しい気分になるというのは理解できる。だが、それ以上のパワーを中国
からもらっているような気がしてならない。とにかく、いきなり李君がやってきたので(媛麗ちゃん達もいたが)、我々は一瞬呆気に
とられてしまった。
「海外デビューおめでとう!」
李君が、今回の我々のバンドのベースを担当する、三尾彰君に話しかける。この三尾君というベーシストだが、現在の李君のバンドの要
ともいわれるアレンジや、デモ音源、そして曲も提供したりと大忙しの身の人。それなのに始めて行った海外がこの中国で、演奏ツアー
という目的も成し遂げなければならない。…これは精神的にも結構大変だ。ただでさえ海外に始めて行く時は、不安な要素を持ってしまう
ものなのだ。その状態で、このツアーでは責任重大の身…。並大抵の苦労ではないだろう。「どう、中国の料理美味しいでしょ?」と李君
は聞きまくっているが、三尾君は始めて出される海外での食事に、少し戸惑っている様子だ。それでも「美味しいよ」と笑顔で答えて
くれるあたり、ここで心配をかけてはいけないという責任感、そして冷静さを感じさせてくれる。
李君や媛麗ちゃん、そして主催者の人も揃った所で、改めて乾杯。より明日からのライブに向け気合が入る。そして、大まかなこれから
の予定も教えてくれた。…というか、やっと明らかにしてくれたというか…。しかし、ここでとんでもないことがわかったのである。
我々のライブは2日間の予定だったが、その2日目がキャンセルされてしまったのである。というのは、1日目は昨年も出演したARK
でのライブ、2日目はまったく別の場所でという予定だったが、その2日目の場所の音響設備がカラオケ程度しかないというのだ。確かに
これではギターやキーボードを使ったライブはできない。今日の李君のイベントは、そこでカラオケ(もちろんこのバンド用の…三尾君が
制作している)を使って行ったらしいのだが、2日目のライブもそういう形にする…ということらしい。
結局、我々の演奏は明日の1日のみとなってしまったが、急な話しになんだか釈然といかない。でもここでのルールには従わなければ
ならず、しぶしぶ承諾。ここは、明後日は自由だから大いに観光してやる!ぐらいの気持ちに切り替えた。まあとにかく、明日以降の
予定もわかったわけだし、今は目の前の中国料理を堪能する事にした方が良さそうだ
お腹がいっぱいになったところで「マッサージに行きましょう!」と誰かが提案する。もちろん李君だ。ここで
“もう疲れたからホテルへ戻ろう”派と“行きたい行きたい!”派にわかれた。私は後者であったが、特に進んでではない。李君バンド
のほうも、鈴木さんだけがホテルへと戻った。結局李君や媛麗ちゃんも合わせて8人ぐらいになっていたが、それでも李君は楽しそうで
ある。
そのマッサージ屋はタクシーで10分ぐらいの所にあった。結構大きめな建物で、洋館っぽい感じがした。我々はそこの3階の部屋に
案内され、早速お茶が出される。李君が案内の人と色々喋っているようだが、もちろん何て言っているかはわからない。外見的には
かなり盛り上がっているように映る。そんなわけでマッサージ専用の椅子に座っていると、続々とマッサージ師が入りこんできた。我々が
8人なので、マッサージの人も8人である。中国人特有の雰囲気もあるのか、突然部屋が賑やかになったような気がした。まあその内の
半分は李君が喋っていたのだが…。
今回は基本的に足のマッサージということで、まず暖かいお湯(ただのお湯じゃなさそうだが)に足を浸ける。3月末でも上海はまだ
寒く、日本とあまり変わらない感じなので、このお湯は気持ち良かった。お茶の他に、おしるこ?みたいなものも出されたので、それを
食べながらマッサージを受ける。たまに眠くなりそうにもなるが、この次どんなマッサージをされるかという不安もあったため、微妙に
眠れる感じでもなかった…。しかし李君はよく喋る。マッサージの人は全員女性であるが故なのか、ここでもテンションが高い。色々な
人に話しかけてて、たまに何を話していたか我々に日本語で説明してくれる。しかし内容は、この人の歳はいくつとか、僕のこと格好良い
と言ってるとか、どうもナンパ的な話しのようである。皆、はいはいという感じで聞いていたのは言うまでもない。
何気に楽しめたマッサージ屋を後にし、我々もホテルへと向かった。部屋に着くと、鈴木さんがひとりでワインを
飲んでいた。これこそ鈴木さん“流”の海外での過ごし方なのである。前回の上海のときもこんな感じだった。聞くと、ちょっと前まで
媛麗ちゃんバンドの人と飲んでいたらしい。色々と話したこともあったに違いない…。そして我々も飲みに参加。もともと私はビールも
買っておいたためそれを飲むことにし、しばし音楽談議、また、音楽の仕事話しにおいても色々興味深い事が聞けた。苦労話も絶えない
みたいだが、やはり音楽は好きだからやっている。その思いに私は強く頷いたものだ。そういえば前回の時は、鈴木さんとはこんな話しは
しなかったかもしれない。今回のことで、何となく鈴木さんという人柄に近づけたような感じがした。
他のメンバーはもう寝てしまい、最後まで話していたのは私と鈴木さんだけだったが、時計を見るともう夜の3時だった。すると、
「うまいラーメン屋があるんだよ」と、鈴木さんが言う。お腹も何となくいっぱいだったが、気分が良かったので行きたくなった。ホテル
のすぐ近くにそれはあるので、早速そこへ向かう。そこは“冨民拉麺”と書かれた薄汚れた狭い店で、10人ぐらいしか座れないような
小さい店であったのだが、この時間なのに満席というか、店の外にまで椅子が置かれてて、そこにも客がいて麺をすすっている。ここは
以前に鈴木さんが上海に来たときに、タクシーの運転士に勧められた店らしい。100%ローカルといった感じで、まず日本人が入る
ような店ではないことは明らかだったが、今では逆にそれが良い。しかしこれだけの人が入っているのだから、やはり人気のある店に
違いない。
奥の方の席が空き、とりあえず座る。メニューを見たが中国語で書いてあるのでさっぱりわからず、何回も来ているはずの鈴木さんも
やっぱりわからず、私はとりあえず、肉…なんとかと書かれた麺を指でさし注文してみた。値段は4元(約60円)。「お金はこの人に
払うんだよ」と、鈴木さんが我々の横に座っている人を見る。その人の手元にはお金の入った箱が置いてあって、「この人、普通の席に
座っているのに、なぜかお金の勘定をやってんの」…と。成る程、確かに我々のすぐ横でレジ的な仕事をしているこの人、しかも鈴木さん
に聞くと、昼間はこの人はいなく、夜になると出勤してくる…らしい。じゃあ昼間はこの店はどうしているのだろうか。疑問が色々と
湧いてくる。ラーメンを待っている間、「ちょっとビール買ってくる」と、鈴木さんが席を立ち上がった。どうやらこの店ではお酒の
類いは売ってなく、そのかわり店への酒の持ち込みは自由なんだそうだ。やれやれ、ホント日本の常識が通じない店である。
じきにラーメンもきて、早速口にする。うまい…というよりは日本にはない味という感じ。ラーメンに入っている肉や野菜に関しても、
日本とはまた違った味なのだから、ラーメンそのものの味を表現するのは難しい。しかし、どちらかというと、いわゆる日本のラーメン
とかではなく、麺の入ったスープ…という感じもした。私や鈴木さんはもう完全に酔っていたため、隣りに座っている勘定のおじさんに
対し、我是日本人!(ウォーシーリーベンレン:私は日本人です)とか、好吃(ハオチー:美味しい)とか、しきりに叫んでいた。それで
そのおじさんが少々迷惑そうにしてたのも印象的だった。
ホテルに戻ったのは朝の4時。こうして、盛りだくさんの上海1日目は、やっと終わることができた。
2005年3月26日(2日目)
目が覚めたのは朝9時頃。意外と早く起きれた気がする。今日は今回で最初にして最後のライブの日である。全てを
今日に懸けなくてはならない。窓の外を見てみると、眼下には1階、2階建てぐらいの古そうな住居が建ち並んでいるのが見え、そのすぐ
向こうには建設中の高層ビルやマンションが見えた。前にも書いたが、この新旧の共存が上海の特徴ともいえるので、なかなか良い光景を
眺められたと思う。外は曇っていて天気は悪いみたいだが、これもまた上海っぽい雰囲気をかもし出している。
部屋の外に出ると、鈴木さんはもう起きていて「お腹空いたねぇ、何か買いに行こうか」と誘われる。本当にタフな人だ。せっかく
なので、海外が初めてという三尾君も誘って、ホテルの外へ買い出しへ行く。どうやら小雨が降っているようだ。
ホテルで傘を借りて店を探す。途中“冨民拉麺”の前も通ったが、ここは三尾君にはきつそうだ。しかし小雨の中、相変わらずこの店は
繁盛しているらしく、今日もお客でいっぱいであった。
さて、我々が向かったのは点心の店で、ここも上海へ来るたびに鈴木さんがよく来るお店なのだそうだ。ここは中で食べる店ではなく、
いわゆるテイクアウトの店であったのだが、なるほど、カウンターの前には多くの人で賑わっている。「せっかくなので三尾君、買って
きてみたら?」と鈴木さんが促す。鈴木さんはビデオカメラを持ってきてたので、私が三尾君の“初海外買い物”を一部始終映していた。
う〜んなんとも性格が悪い…。それでも笑顔で肉マンを買ってきた三尾君、素晴らしい。しかし、肉マンの入っている袋の中を覗くと…
10個も入っている!…これは間違って10個買ったのか、それともあえて10個買ったのか…未だに謎のままである。それにしても
中国の肉マンの美味しいこと!中にはたっぷり肉が詰まっていて、しかもジューシーなことこの上ない。中国で肉マンを食べたら、日本の
肉マンなんて食べられなくなる、肉マンの見方が変わる…と言っていた鈴木さんの言葉を思い出したが、確かにそれぐらいのインパクトは
ある味だとは思う。しかも値段は1つ7角(角は元の10分の1、要するに10円ぐらい)だし。さすがです。
ホテルへと戻る。「あれぇ、どこ言ってたの?」と、ポワァ〜ンとした口調で聞いてきたのは、今回の李君バンドの
ドラマー、山口美代子さんである。何でもESPミュージックアカデミーの卒業生らしく、今はメジャーデビューしているバンドで活躍
しているとか。「肉マン買ってきたんで…食べます?」と、先ほど10個も買ってしまった肉マンの余り(さすがに我々で全部は食べられ
なかった)を差し出すと、「あ、美味しいねぇ」と素直に喜んでくれた(…の割には1、2個しか食べなかったが)。まあどこか穏やかな
感じの美代子さんだが、結構見かけに寄らずパワフルなドラムを叩くのである。今日のライブも楽しみだ。
昼12時になって、チェックアウトの時間が迫ってきた。そう、今日からまた違うホテルに移動しなければならないのである。とは
言っても、ここから徒歩で10分程度の場所。しかし皆、荷物を持ったり楽器を持ったりと大変そうである。板屋さんや媛麗ちゃんバンド
のメンバーの人とも合流し、いざ別のホテルへ。昨日泊まったASCOTT HOTELは大通りからちょっと入った場所に位置したの
だが、これから行く香港プラザというホテルは、淮海路(ファイハイルー)という、いわゆるメインストリートに面した場所に位置する。
そのためか周辺は人が多く、いつも賑やか…これぞ現代の中国という感じも受けるような場所に建っているのである。しかし周囲の喧騒
とは裏腹に、ホテルの部屋は意外と洗練されていた。我々はいつも招待されている立場なのだが、その部屋の豪華さ振りには毎回頭が
下がる思いだ。この招待には我々は演奏で返すしかない。あらためてミュージシャンの立場というのを深く噛み締めたものである。
ちょっとばかり部屋で寛いでいたが、もうすぐリハーサルの時間である。「さあやるか」と気合を入れ、いざ上海
ARKへ。香港プラザからは歩いて7、8分くらいで行けてしまうが、その間に景色はぐっと変わってしまう。ARKが“新天地”という
場所にある証拠である。相変わらずここは洗練されている場所だ。いきなり連れて来られたら中国とは思えないほどであろう。まだまだ
発展を続けているらしく、前回来た時より人が増えている気がした。これからもこのエリアがどのように成長していくのか、ARKと共に
楽しみな場所ではある。
会場入りしたが、まだ誰も来ていない様子だ。でも私も2回目だし、鈴木さんにいたってはもう何回も出演している場所だ。誰もいなく
ても楽器の準備ぐらいはできてしまう。もちろんキーボードやギターのエフェクターなどは電源が必要で、日本と中国ではコンセントや
プラグの形が違う(電圧から違う)ので一瞬迷ってしまうが、確か変圧器もどこかにあったはずである。なかなかこういうところで用意
するのも新鮮でいいなと思っていたら、音響の人(もちろん日本人、前回もお世話になった)も会場入りし、その後は準備に加わって
くれたので、更にセッティングが早く進められた。挨拶も済ませ、さあリハーサルだ。
…と、思ったのだが李君はまだ会場入りしてない。今日も昼頃イベントに出演してて、こっちに来るのが遅れてるそうだ。色々多忙の
身は大変そうである。まあ李君がいなくても楽器のリハーサルはできるので、とりあえず進めることにする。李君を除いて我々4人は、
初めて会ってからまだ3週間ぐらいしか経ってないが、共に中国に演奏しに来たという想いが一体感を高めているような気がする。そう、
海外に行くというのは人と人との距離を縮める効果があるのかもと思う(その逆の場合もありそうだが…)。
何曲かリハを行っているうちに李君が到着、5人でのリハが始る。しかしこれまたとても順調だった。別に不安な箇所はどこにもない。
すぐにでも本番にいきたい気持ちである。みんなライブ慣れしているからだとも思うが、特に李君のライブ慣れが顕著に出てた気がする。
以前の中国のときには何か落ち着いてなかったというか、ノリというのが自分の感情で左右されてしまっているようなところがあったと
思う。だが、こういったライブの“ノリ”というのも、自分でコントロールできるようになったのだろう。何だか余裕さを感じたものだ。
私がえらそうだが、とにかくそう感じたのは事実である。
リハが終わったのが16:00くらいだろうか。本番まで結構時間があるため、とりあえずいったんホテルへと引き
上げる。そして夕方ぐらいになって、レストランへと向かった。そして、なぜだか李君の友達も交えての夕食会?となった。李君が呼んだ
のは女性3人。もちろん中国人である。李君は今は日本に住んでいるが、中国に来たときはこういった友達とのコンタクトを忘れない。
早速紹介されるが、まあ相手は中国人なので何を言っているかはわからない。身振り手振り、そしてあとは笑顔でアピールするしかない。
でも、こっちが笑顔で目を合わせると、むこうも笑ってくれる。それだけでも十分コミュニケーションはしているんじゃないかとも思う。
李君とその友達はどんな会話をしていたのだろうか…。
友達3人は、用事があるために途中で退席した。しかし驚いたのが、いつのまにかここの全員分の支払いを済ませてしまったというので
ある。ここには10人近くの人数がいて、結構注文したから、かなりの額になってると思うのだが…。昔から中国は、偉い人や尊敬する人
には“おごる”という習慣があるという。それなのかどうかはわからないが、とにかく驚いてしまったというか、申し訳ない気持ちにも
なってしまった。李君の友達から見たら「ようこそ中国へ」という感じなのかもしれないが、私は日本に来た見知らぬ中国人にこうやって
接することはできるのだろうか…。ちょっと考えてしまった出来事であった。
話しは変わるが、鈴木さんは何気にガイドブック「地球の歩き方」を持参してきていて(そりゃ何回も来てるし)、巻末に上海語ガイド
(中国には色々な方言がある)というのが書いてあったので、これを使えたら面白そうだな〜と思い、少しチェックしていた。それに
よると、“これ”は“ガーッ”、“あれ”は“エゲッ”…らしい。変な言葉だなーと思いながらも、インパクトのある単語だったので、
李君以外の我々4人はそれを復唱しながら過ごしてたのだ。幸いな事に、ここにはネイティブの李君、そしてもう何年間も上海に住んで
いる板屋さんもいる。早速この2人に通じるか試してみたい。李君に、自分の目の前の皿を指して“ガーッ”、そして李君の前にある皿を
指して“エゲッ!”…。さて結果は……無残にも「は?」と言われてしまった。というか、なになに?何言ってるの?的な感じだ。これは
発音が悪かったとかそういう問題じゃなく、とにかく何を言ってるんだみたいな顔であった。聞くところによると、上海語というのは
確かにあるが、上海に住んでいる人は半分以上外から(上海以外の中国)来ているため、上海語を使う状況がほとんどないらしい。特に
上海の中心地にもなると、上海語を使うと半ば田舎物っぽく思われる傾向もあるとか…。「おめぇ何方言出しちゃってんの?」という
感じだろうか。板屋さんも微妙に「ああ、上海語ね」という感じだったし…。うーん、ガイドブックだけではわからないことも多いわけ
ですね。じゃあ何語を使えば良いのかというと、迷わず“北京語”らしい。中国は北京語で十分というのが、大方の意見っぽい。なんだか
意外な感じがしたが、これもリアルな上海だということである。
そろそろライブの時間である。再度ホテルに戻ってからARKへ向かう。今日はぐるぐると同じところを歩いている
ような気がする…。衣装に着替えARK入りする。もう中にはお客さんが結構入っていて、ライブが始まるのを楽しみにしている感じだ。
我々は客席をを通りそのまま楽屋へ行くと、もう既に媛麗ちゃんバンドの人達がスタンバイしていた(媛麗ちゃんバンドの方が先に出演
するため)。
そして時間がきて媛麗ちゃんのライブが始まった。楽器陣の人達が次々に舞台に入っていき、徐々に音を重ねていく。そして最後に
媛麗ちゃん自身が舞台に登場して歌い出すという演出だ。私もせっかくなので楽屋でからなく、客席からこのライブを眺めることにした。
とりあえずは一人の客として、ARKで見てみたかったからである。
…順調にライブは進んでいる…かのように見える。お客さんも、媛麗ちゃんを知っている人が何人もいるのか、楽しんでいるようには
見える。しかし…舞台上の雰囲気がなんとなく盛り上がってないように見えるのである。媛麗ちゃんはもともと事前にカラオケを作って
もらっていて、それをバックに流して歌うというタイプの歌手らしいので、バンド慣れしてない感じはなんとなくわかったのだが、それ
以上にバンドの楽器陣の人との一体感が薄いような感じがした。これは音楽的にというか、どちらかといえば気持ち的な問題なようにも
見受けられた。そして、それが見てる私にも伝わってきたような感じがした。演奏している人達は、普通に現役バリバリのプロの人達で
ある。バンド慣れしていて当然の人達であるが、だからこそなのかバンド慣れしていない人に厳しいというか、とにかく演奏に暖かさを
感じるということは無かった。私もそろそろ出番なので楽屋に戻ってきてみて、李君バンドの面々とも話したが、大方同じ意見だった
ような気がする。
さあ、気を取り直して我々李君バンドの出番である。「やるぞ!」「おお!」という、よくわからない気合を入れて
ステージへ移動する。舞台は暗いが客席は明るいので、お客さんの顔がよく見える。どうやら先程よりお客さんが入っているみたいだ。
なんとなく気分も高まる。そして…鈴木さんの掻き鳴らすギターイントロで李君バンドのライブが始まった。
実はこのギターが鳴り始める直前まで、結構お客さんはガヤガヤしていたのだが、この第一声でお客さんは静まり返った様子だ。完全に
お客さんをこちらに注目させられることに成功したと思う。ライブではこういった“きっかけ”が大事である。そのまま2曲目、3曲目と
スムーズに演奏できた。そして4曲目、“遥か宇宙の…”というスローテンポの曲がなのだが、実はこの曲は三尾君が作曲したもので、
6〜7分ぐらいの長い曲だ。普通、スローで長めの曲というと、お客さんはだいたい飽きてしまう(よい意味で気分転換になる)ものなの
だが、これは違った。ほとんどのお客さんが一生懸命、李君の歌っている声を聴いているのだ。このときの客席は、本当にシーンとなって
いた気がする。この広いライブハウスにしては珍しいことかもしれない。ある意味今日のライブのピークだったと私は思うのである。
あとは順調そのもの。途中ステージのモニターがおかしくなったのか、音が聞こえたり聞こえなくなったりする状況が発生したが、
これはステージ上だけでのこと。客席にはきちんと音は届いているのだと思い、何もなかったような素振りでライブを続ける。そんな
わけでバラードではしっとり聴かせ、アップテンポの曲ではお客さんをノリノリにさせる。お客さんからしてみれば、このライブはどこで
休めば良いの?という感じだったかもしれないが、とにかく全速力でやり切った感じであった。ライブも無事終了し、皆で楽屋に戻って
握手を交わし「お疲れ!」と。そして「楽しかったー」の声。うん、やっぱりそれが一番ですよね。
我々のライブは終わったわけだが、まだARKのライブは続いていて、ARKオールスターズという、定期的に
やっているバンドが最後を締めるようであった。その間にも我々は客席に移動。前回もお世話になった周さんにも会い、PAさんにもお礼
を言ったり、何気に忙しかったが、やはりお疲れのビールは体に刺激を与えてくれる。何とか無事に終わって良かったと、安堵の笑みも
こぼれてくる。三尾君や美代ちゃんは特にそう思ったに違いないだろう。そういえばモニターの不具合に関して、鈴木さんがPAさんに
ステージ上での状況を伝えていた。これは何回も出演していて、PAさんとすっかり顔馴染になった鈴木さんだから言えることなのだと
思った。確かに、このままではARKの音響は悪いという評判が広まってしまう。モニターの不具合は、出演者にしかわからないことでも
あるので、これをきっかけに良いモニターを揃えてくれればと思う。というか、それを聞いた周さんが、すぐさま知り合いの音響の人に
電話をしていた。この迅速すぎる対応には驚いたが、きっと次回来る時には良くなっていることだろうと思う。まあとにかく、その後は
しばらく飲んでいて、しかも何杯もいってしまったため、完全に酔っ払ってきている自分がいた。
また時間がたって、李君が「ディスコに行こう!」と切り出す。なんだか、知り合いのフランス人!?が経営しているディスコがある
らしく、遊びに行きたいと言うのだ。ディスコなんて行ったこと無いし、俺はいいや…と普段の私なら言いそうなのだが、この時ばかりは
酔ってたせいもあるが「行こう行こう!」とノリノリだった。ああ、酒は怖い。
そこのディスコはARKからタクシーで10分程(あまり覚えてないが)の所にあった。かなり洗練されたお洒落な建物だったのは、
さすがに酔っていてもわかった。中に入ると、大音量でビートのきつい音楽が流れている。うむ、賑やか賑やか。
入ってすぐテキーラを飲まされる。これはかなりきついが、今の状況ではどんどん気分が高まるばかりだ。そして、李君も美代ちゃんも
踊り出していた。鈴木さんや三尾君は、こういう所があまり好きじゃないのか、とりあえず席に着いて酒を飲んでいる感じだった。さて
私の方は…というと、気分が高まってしまったのか踊り出してしまっていた。周りにいるのは、基本的に欧米人で、中国人はもとより、
日本人は我々だけしかいない。さすがフランス人が経営しているだけある。私はその周りの人達に、誰振り構わずとにかく喋りかけて
いた。その内容は「どこの国から来たの」と「自分は日本人だ」の連呼だった気がする。そしてそのあと何故か「エーイ」とハイタッチ。
今思うと、自分でもよくあんな行動的なことができたなと思う。周りから見たら、変な日本人がいるぞと思われても仕方ないであろう。
酒の力もあったが、とにかくあの時は妙に楽しかった。久しぶりに体も動かした感じがした。実はそのあと夜中の2時頃、鍋をつつきに
レストランへ行ったのだが、ほとんど味は覚えていない。そしてホテルへ戻ったのが夜中の3時頃。さすがに体も疲れてしまい、部屋に
入るやいなやソファにそのまま倒れ込んでしまった。
2005年3月27日(3日目)
目を覚ますと朝の10時。なんだか体が痛い。酒を飲んでダンスを踊って鍋もやって、そしてシャワーも浴びずに
ソファで寝てれば、そりゃあ体も痛いだろうに…。窓の外を見てみると、どうやら相当天気が悪いのか、朝10時にも関わらず空が暗い。
まあ上海特有のスモッグもあるのだが、ホントこんな天気ばかりである。
シャワーでも浴びようかな…。こう思って重い体を引きずりトイレのドアの前へ、しかし…。ドアが開かない…。あれ?…おかしいなと
思うが、どうやら内側から鍵がかかっているようだ。誰か入っているかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。よくわからず、まだ
頭もボーっとしていたため再びソファに寝転んでしまった。
いつの間にかまた眠ってしまったらしく、今度は鈴木さんの「あれ?」という声で目を覚ます。どうやら同じ目にあっているらしい。
「それ開かないですよね」と私が言うと、三尾君が起きてきて「あ、僕かもしれないです」と…。要するに、鍵をかけたままドアを閉めて
外に出てきてしまったということか。フロントに電話するしかないが、鈴木さんはお腹が空いているらしく、時間もあまりかけたくない
ので、とりあえず3人で外に食べに行こうということにした。トイレにも行きたくなってたが、まあ外に行けばお店にあるだろうという
ことで…。鈴木さんに勧められてファストフードっぽい店(売っているのはラーメンとか、バリバリ中華なのであるが)に入る。しかし
トイレが無い。無いとわかると余計に行きたくなる。その店はビルの一角に入っていたのだが、私はそのビルを探索し、ようやくトイレを
みつけた。やれやれ、朝から一騒ぎである(そのあとホテルへ戻り、フロントに電話して鍵を開けてもらうが、また鍵をかけたままドア
を閉めてしまい、結局二度開けてもらうことに…。かなり気まずかった)。
そんな一連の流れで、もう疲れてしまったような感があるが、今日はいわゆるオフの日である。前回来た時は観光
らしい観光はしていなかったため、今日は素直に観光をしたいなと思った。実は鈴木さんですら、観光らしい観光はしていないらしく、
演奏ツアーというものがいかに大変かが伺える。ではどこに行こうかということになったが、鈴木さんが楽器屋街みたいな場所がある
というので興味を覚え、とりあえずそこに向かうことに。あと私的には外灘(ワイタン…バンドとも言われている)という地区に行って
みたいのと、やはり上海のシンボルでもあるテレビ塔も見ておきたかったため、目的地はそこにして、基本的には行き当たりばったりで
向かおうということにした。何だか楽しそうではないか。
楽器街はホテルから東のほうに歩いて15分ほどで着いた。楽器街というと、日本ではお茶の水辺りが有名であるが、ここの楽器街は
日本のそれとはかなり雰囲気が異なる。お茶の水だと気軽に入れる店が多く、ギターや管楽器専門の店とかが多い。しかし、ここでは目に
するのはピアノ(キーボードではない)や弦楽器、そして中国楽器の店だ。ピアノの店なんか、3,4軒連なっていることもある。その
連なっている店の中を覗いてみたが、売っているものはどこも同じような感じ、3、4軒もある意味がよくわからない。もちろんピアノの
メーカーも中国製のもので、値段はピンキリだったが安くて15万円ぐらいだった。これでは日本のキーボードぐらいの値段だ。しかし
中国の社会人の初任給が2万円程度と考えると、やはりこれらは高価なものだ。ここはもしかしたら、お高い街なのかもしれない。
その中に1軒、日本とあまりかわらなさそうな雰囲気の楽器屋を発見した。売っているものもキーボードやギターと、いわゆる外国製品が揃って
いる。中にはヤマハのキーボードもあり(音色名がすべて漢字で書かれているのが面白かった)、ちゃんと売っているところは売っている
のだと思ったが、値段は日本の2倍程度するようだ。つまり、外国製品は高いということだ。さらによく見てみると、今回のツアーで
私が持ってきたキーボード(ローランドのJUNO−D)も売っていた。これは私は6万円ぐらいで購入したが、ここでは8500元
(約13万円)の文字が…。品揃えは豊富だったがどれも現地の価格からすれば高い。これでは購入者は限られてしまうだろう。実際後で
李君に聞くと、中国の音楽事情は最悪らしく、楽器が持てない、教材がない、そして、何といっても演奏する場所がない…。実は上海
ARKというのは今から5年前くらいにできたライブハウスなのだが、その時も“中国で初めての本格的ライブハウス”という感じで紹介
されていたぐらいなのだ。中国で音楽といえば、民族的、伝統的なものという捉え方になってしまうのか…。確かに中国出身で日本でも
メジャーシーンに残るアーティストと言えば…“女子十二楽坊”ぐらいだ。だが、こうしてARKもでき、今まさに上海は発展中という
ことなので、今後は変わっていくのかもしれない。というか、上海ならその可能性を十分に期待できそうだ。
楽器街を後にし、今度は北へと進路をとる。楽器街辺りはそこまで人通りは多くなかったが(といっても日本の街
よりは全然多いが)、徐々に人通りが増えてきた。上海一(中国一とも言われている)の繁華街、南京路(ナンジンルー)に近付いてきた
ためだ。
南京路は東西5キロにもなる上海のメインストリートで、その東端が先ほど目的地にあげた外灘地区となる。この通り沿いには中国の
大手デパートや外資系ショップ、レストラン、ホテルなど、多くのものが集中しており、今日は休日ということもあり、とにかく人、人、
人…。もちろん観光客も多いため一種独特の雰囲気を持っているが、やはり上海を象徴する通りだというのは間違い無い。こんな感じ
なので油断したら迷子になってしまいそうな場所である。一部分車は入れなくなっていて、まさしく人だけの通りと化しているが、その中
に交じって遊園地の汽車みたいな形をしたバスも走っていた。日本で言えば銀座や新宿みたいな場所なのにこの光景…正になんでもありの
道だ。
ここから外灘に向かうため、とりあえず東に向かうが、西の方角には建設中のやたら高いビルが見える。そういえば上海には世界一高い
ビルになる予定のビルがあった。それは「上海環球金融センター」という名前のビルで、六本木ヒルズを作った「森ビル」が中心となって
建築を進めていて、2007年に完成の予定であると…。このビル、1997年に建設が始まったのだが、資金繰りが困難などという理由
で建設が5年間中断されてしまった。しかしこの間に台湾の台北に「台北101」が完成。「上海環球金融センター」が地上94階建て
・高さ460メートルなのに対して、「台北101」は101階建て・高さ508メートルなので、こちらが先に世界一になってしまう。
この「台北101」の存在が中国側の誤算となったらしく、「上海環球金融センター」の高さを地上101階、高さ492メートルに設計
変更しまう。つまり、資金繰りが困難という理由の裏話的な考えがそこには見えるのである。中国側は、台北101はビルの上に塔を立て
「高さを水増し」しているが、ビルそのものの高さはウチが世界一と公言しているようで、中国側の意地の強さを感じたものだった。ここ
から見えるビルがそれかはわからないが、とにかく上海にはこんなビルがいっぱい建っている。
しばらく歩くと、右側のビルの隙間に市場らしき雰囲気が漂う場所があった。ずっと南京路を歩いていてもしょうが ないので、ちょっとそちらにも寄ってみることにした。そこは雑貨類というか小物類というか、そんなものが置いてある屋台の集まりで、 売っているものをよく見てみると、オメガやローレックスの時計まで売っている。少しでもそこで立ち止まると、店の人が「安いから 買わないか」みたいなことを言ってくる。一応いくらかと聞くと、470元(約7500円)と言われる。まあ確かめるまでもないが偽物 である。しかし、ここで鈴木さんは興味を示した。「この時計かわいいなあ」…と。オメガやローレックスは丈夫さがウリというところも あるため、偽者はすぐにばれてしまう。しかし、鈴木さんが手に取ったのはフランクミューラー(もちろんこれも偽物)の時計だった。 確かに、これはデザイン重視なところがあるため、話しのタネとして買うのも良いかもしれない。だが、鈴木さんは迷っているようで、 470元じゃ高いよなあと言っている。すると、売り手の方もそれに感付いたらしく、いくらなら買うのかと、電卓をこちらに差し出し てきた。そして、鈴木さんはパパッと“100”と入力した。やるな鈴木さん…。これにはさすがに売り手の中国人も苦笑し、じゃあ 200元で、みたいに言ってくる。当の鈴木さんはというと「そんなこと言っても、欲しいデザインが何か違うんだよなあ」と日本語 バリバリでその中国人に言ってるし、さらに170元にまけてくれるが「違うんだよ、デザインなんだよデザイン!」と言って、まだ 買う気が無い。いつの間にかその店では、店の担当の人が変わってて、その人の親みたいな人が担当している始末になっている。そして、 さらに長い時間言い合いの結果「もういいや、行こうか」と鈴木さんが歩き出すと、いきなり腕をつかみ出し「わかった、100元で いいから!」とついに100元にまけてくれてしまったのである。で、鈴木さん、さらにもう一度店頭に並んでいる時計を見て「やっぱり この中で買いたいやつは無いよ」と言って、再び店を後にしようとしたら、今度は「90元なら買うでしょ?」というように、結局90元 (約1500円)に下がってしまった。さすがに鈴木さんも、もう店のやつが相当しつこいから買うか、みたいなことになって、やっと 時計を購入。これは別に値引き交渉マニュアルではないが、交渉は半分“諦め”の気持ちもないと、うまくまけてくれない。実際鈴木さん も特に時計は必要なかったっぽいし…。
さて、その偽物ばかりが出回っているエリアも抜けさらにしばらく歩くと、辺りの建物が洋館っぽくなってくる。
こここそがバンドといわれている地区だ。ここは上海が租界であった頃の経済の中心地で、建物の多くがその名残を留めている。租界
時代というのは、清朝が1842年にイギリスとのアヘン戦争に破れ、南京条約により上海港の開講を強制されたことにより始まった
ものだ。1846年にはイギリス租界を始めとして、フランス、アメリカ、日本が租界を設け、中国侵略の拠点としまっている。この時の
この地域では、警察権・行政権は諸外国に属していた治外法権地域であり、清朝政府の支配は当然及ばなかった。また、それぞれの国が
警察権をもっていたため犯罪の取締りが厳しくなく、犯罪も多くあったという。この時代は第2次大戦後、共産党が政権を握るまで続いた
ので、約100年という年月が経っていたわけだが、そんな時代もあったのだ。それとは別に、ここは黄浦河という川に面したエリア
なのだが、対岸には、上海の中でも最も急速に発展しつつある浦東新区の高層ビル群、そして上海のシンボル的存在の東方明珠タワー
(通称テレビ塔)が望める。この上海の、古いものと新しいものが同時に望めるという点では、バンドは絶対に外す事のできない観光
スポットと言えるだろう。
ここも相変わらず人でいっぱいで、せっかくなので対岸に渡ってみたくなった。地図を見ると、近くに観光トンネルなるものがあるとの
こと。入口もすぐ近くだし、通って向こう側に渡ることにした。入ってすぐ地下道みたいな雰囲気になり、このまま歩いて向こう岸に
着くのかなと思ったがそうではない。しばらく歩くとチケットカウンターが見え、ここで片道料金30元(約500円!高い!)を払う。
そして改札を越え、長いエスカレーターを下りていくと、10人程が乗れる乗り物が待っており、これに乗ってトンネルを抜けていくと
いうではないか。どうやら無人で運行されており、乗り口の所に案内の人が1人立っているだけだった。これはどちらかと言えば、交通
機関というよりは観光アトラクションといった感じなのだろう。全長646.7メートルで、道のりはほんの5分程度。普通に真っ暗な
トンネルを通るのかと思っていたら驚いた。中のトンネルはきらきら光る電光が施されており、進むにつれ異なる何通りかのパターンが
用意されているらしく、結構綺麗である。そんなことを思っていたら、途中前方に変な人形がいるのが見えた。近付くにつれ、それは中に
空気を送ってユラユラと揺れているピエロみたいな人形だとわかったのだが、その人形、普通にこの乗り物にぶつかる。中に空気を送って
動いている人形なので、ぶつかった瞬間乗り物にへばり付くような絵になり、かなり気味が悪い。そして、またユラユラと揺れて次の
乗り物を待っている。後で聞くとこの人形、このトンネルができた当時はなかったらしい。つまり、最近になって設置されたということ
らしいのだが、これまた設置した人も相当性格の悪いやつなのではないだろうか。はっきりいってこのイベントには驚く。だが、ただそれ
だけという感じである。これこそ中国人のセンスなのか、まあとにかく子供達は大喜びに浸れることうけあいだ。
出てきた所は先ほどのテレビ塔に近く、写真で撮って丁度良いくらいの場所だった。やはり近くで見ると大きい。さすが高さ463
メートルだけのことはある。アジアで最高、世界でもカナダのトロント、ロシアのモスクワのテレビタワーに次いで3番目に高い塔らしい。
ついでに、この近くには金茂大厦という、地上88階建てで、その53階から87階までがグランドハイアットホテルとなっているビル
がある。ホテルとしてはギネスブックにものっていて、これは正真正銘世界一高いホテルで登録されている。本当にすごい建物がたくさん
あるなあ上海は…。しかもこの勢いはまだ止まらない…。
もう見るべきものは見た。お腹いっぱいである。これらのビルには入らず、地下鉄でホテルに戻ることにした。
前回上海に来た時、私は地下鉄に乗っているので、もうお得意である。いつの間にか新型車両も走っているようだ。地下鉄2号線の
陸家嘴(ルージアズイ)駅から人民広場(People's Square)駅へ、そこで1号線に乗り換え、我々のホテルの最寄駅である黄陂南路
(ファンピーナンルー)駅へと乗り継ぐ。時計はもう17:00頃だったが車内は相当混んでおり、特に人民広場駅の混雑といったら半端では
なかった。しかも、まだ乗っている人がいるのにドアを閉めてしまう地下鉄の車掌。さながら戦時中の鉄道のようだった。上海に地下鉄が
できたのは1995年と結構新しい。今は3、4路線だが、2006年までには10路線にするという。結構な話しだが、その前にまず
モラル的な問題を解決してほしいように思う。
やっとのことで戻ってきた。三尾君はもう日本の食べ物が恋しくなったのか、味千拉麺に行きたいと言い出す。これは日系のラーメン
屋で、確か熊本系のラーメン屋だったと思う。上海で食べる日本のラーメン屋というのも悪くないかもしれない。鈴木さんはあまり乗り気
ではなかったため先にホテルに戻り、我々残り3人で味千拉麺に向かった。結構人気があるらしく、店内は活気に満ちていた。メニューは
ラーメンだけではなく、ご飯物や一品物、酒類もあり、こういうスタイルじゃないと受けないのか?などと思ってしまう。とりあえず基本
メニューの味千拉麺(15元…240円)をいただく。味の方は日本の味千(とんこつ系)を結構踏襲している感じで、中国らしくは
ないが、美味しかった。これには三尾君も満足だったことだろう。良かった良かった。
このあとは少しお土産探しを兼ねて、単独行動をとった。恐らく、これが今回の上海の街歩きの最後の機会となるだろう。時間はあまり
なかったため、本当に限られた時間だったが、ホテルの周辺をあえて散策してみた。これがまた、よく見ると面白いものがいっぱいある
のだ。大通りの脇には自転車専用レーンがあるし、道を走っているバスのサイドミラーはウサギの耳みたいで可愛いし、見た事の無い
コンビニ(売っているものも面白いものばかりだ)もあるし…。また、李君の作った曲で、“准海路(ファイハイルー)”という曲が
あるのだが、その道は我々のホテルの目の前を通っていて、すぐに見ることができる。その道の行き交う人やバスやタクシーを眺めるだけ
でも、なんだか感慨深い気持ちになる。とにかく人の多い通り。クラクションの鳴り止まない車。そして一向に晴れない天気…。上海は
歩くだけで面白いというのを、改めて再認識した気がした。それがわかっただけでも収穫なのではないだろうか。
19:00頃には李君と落ち合うため、少し早めにホテルへと戻った。
ホテルで李君を待っていると、まもなく李君が到着するが、傍らには女性が…。この人も李君の友達らしい。本当に
李君は顔が広い。しかもこの人、中国人なのだがJALのキャビンアテンダントらしのだ。李君達は何回も日本と上海を往復しているが、
その中のある時、上海に向かう便で、この女性が働いている姿を見かける。そしてあまりに可愛かったため声をかけ、ついでに上海で
ライブがあるから来てよ…と、まあ簡単に言えばナンパみたいな行動に出たと。しかし驚いたのが、本当にこの女性はライブに来てくれた
のだという。それからの仲らしく、しかもさすがにスチュワーデスだけあって、日本語も少し喋れるようだ。これは中国人の中では、
かなりのエリートだと言えるかもしれない。まだ25歳らしいが、我々の思っている中国人像とは違く、静かな感じの人で、年齢より
ずっと(いい意味で)大人びて見えた。
さて、そんな我々が李君に連れてってもらった先は…豫園(ユーユエン…日本語でヨエンと言われる)である。ここは外灘と並ぶ上海
の代表的な観光地だ。豫園は「楽しい園」という意味で、遡ると1560年ぐらいに築かれたという代物だ。ここは租界の時代でも、
旧中国人が住む地域だったと言われていて、その頃には門前市や商業街として発展し、1956年に庭園として改修・整備され現在に至る
感じである。タクシーで近くまで来てみると、中国の昔ながらの建物にネオンが点き、これがまた明るくてすごい。降りて入口に立って
みるが、ネオンは建物の淵に沿って取り付けられており、ネオンだけ見ても建物の輪郭がわかるほどだった。
ほどなく物売りがやって来た。ここは観光客が異常に多いため、物を売りつけてくるやつも半端なく多いのだ。しかもまた偽オメガや
偽ローレックスを手にしている。本当にしつこい。こういうときは、本場の中国人である李君に一括してもらうのが手っ取り早そうだと
思ってみると、なんと当の李君が「買おうかな〜」と言っているではないか。どちらかというと、交渉を始めてしまったのだ。やれやれ。
しかしこの李君もすごいもので、オメガとローレックスの時計2つで100元(1600円)で買ってた。先ほどの鈴木さんの約半額だ。
やはり本場の値切りはすごい…。
実はここに来た第一の目的は南翔饅頭店というお店に行くことだった。これは饅頭の店ではなく小龍包の店であり、これがまためちゃ
めちゃ人気の店なのである。最近では日本の六本木ヒルズにここの支店ができたが、味も値段も本国とは大違いだとみんなは言っている。
ここに来る前から鈴木さんに、この上海のは絶品だと言われていたし、ここの小龍包を食べなきゃ中国に来る意味がない…とまで李君には
言われた。その店の入口近くでテイクアウト用の小龍包が売っているのだが、確かにすごい列ができている。だが我々は店内で食べたい
ため、入口横の階段で上へとあがる。実はテイクアウト用の小龍包は16個8元(130円)なのだが、2階に上がると16個で15元
(240円)と、値段が2倍近くなる。その分座って食べられるというわけだが…。そして、我々が向かった先は階段の右側奥の長興楼
という部屋。ここの小龍包は「特製蟹肉小龍(いわゆる上海蟹入りの小龍包)」と呼ばれ、6個20元(320円)と1階に比べて7倍
ぐらいの値段になっているが、ここが特にお勧めだとか(2階の普通の場所より空いているという意味でも良いらしい…高いだけに、
結構日本人観光客も多いみたいだ)。
座った席の向かいにはちょうど小龍包の調理風景が見れるようになっている。カメラを向けると、恥ずかしそうに(嫌そうに?)目を
背けられた。そりゃそうか…。小龍包は確かに美味しかった。ノーマルの小龍包は食べてないので比べようないが、台湾の時の鼎泰豊とは
また違った感じがする。店の雰囲気もあるかもしれない。何せこっちは創立1900年。建物も昔ながらな感じがするし、雰囲気という点
ではこっちの方が上だろう。かなりお腹いっぱい食べてしまった。もう満足だ。
ついでにこの店、さらに奥の部屋(鼎興楼)があり、フカヒレの小龍包が6個88元(約1400円)らしい。1階に比べれば実に
30倍の値段である。
さて、ここには雑貨やお土産もいっぱい売っているということで、少し土産探しをすることにした。日本へのお土産で、中国のタバコと
いうのもいいかもしれない。ここでお勧めは「中華」というタバコと「上海」というタバコだ。李君の友達によると、中国のタバコで一番
うまいのは「中華」だという。その分値段は高いが…。そして、見た目にこだわるなら「上海」だ。キラキラ光るパッケージにテレビ塔
など、開発地区の建物が描かれているのが格好良い。これならすぐ上海に行ってきたという証拠になるだろう。値段も安めだが、味は
大したことないらしいので注意が必要だ。
また、とある土産屋で李君が店の人に交渉。アクセサリーが均一5元で買えるようになったりと、やはり中国人はこういうところが
強い。結局、いちばんお金を使った場所はここなんじゃないかなと思えるほど(タバコがやはり大きい)お土産を買ってしまった。やはり
李君やその友達にアドバイスされると、買ったほうが良いんじゃないかと思ってしまうから不思議だ。地元の知り合いは大切というのが
よくわかった気がする。
お腹もいっぱいになり、お土産も買い終え、あとはホテルに戻ってゆっくりするだけだ。あとから板屋さんも合流。 今回のライブについてもあるが、中国の色々な話しで盛り上がった。特に浦東新区に行く時に使った観光トンネルが、約20億円もの 事業だったという話しを聞き、正に上海はバブルだなと再認識した。しかし地下鉄での出来事のように、今の上海は社会の発展にモラルが ついていってないようだ。経済が発展していっているのは確かだが、その代わり貧富の差も大きくなっている。このままだと上海は崩壊 するみたいな話しまでになったが、上海に住む日本人としての意見からすると、何だかリアルな感じがした。中国最先端とは名を打って いる上海だが、色々問題もあるのだ。今日見てきたところと照らし合わせ、自分でも少し考えてみようかと思った。
2005年3月28日(4日目)
今回の海外日記は本当に長かった。やっと4日目、帰る日である。朝10:00ぐらいの便だったため、6:00頃起床。
昨日が2:00か3:00ぐらいまでは起きてたから相変わらず眠い…。帰る準備も結局朝行った。鈴木さんもその例外ではなかったが、いま昨日
買った時計を外し、「これは中国時間用だからもう仕舞っておくか」とスーツケースの中へポーンと投げると…ガシャッ!!…時計は
音をたてガラス部分が割れてしまった。まったく、朝から驚かせてくれる…。
チェックアウトを済ませロビーへ。まだ朝7:00ぐらいだというのに、李君や媛麗ちゃんは見送りに来てくれた(この2人はまだ上海で
イベントがあり、帰りは明日以降なんだそうな)。媛麗ちゃんバンドの人とも落ち合い、チャータータクシーを利用して一路空港へ。
何だか慌しいが、とりあえず上海とはおさらばだ。
空港に着き、また一連のチェックイン、荷物預け、皆さんの誘導だ。だが、何日か一緒にいるうちに、初日よりは気をつかわなくても
大丈夫な雰囲気になっていたというか、日本のときよりはスムーズだった気がする。そしてセキュリティチェックを受け出国審査へ。
ああ、あとは飛行機に乗るだけだ。今回は大変だったなあ…。色んな意味で勉強になったツアーだった。そして、音楽をやる者としての
新たなる第一歩が踏み出せそうな気もした。それくらい、自分にとっては衝撃のある出来事だったと思うのである。
余談だが、今回帰りに乗った飛行機は日本上空でよく揺れた。相当気流が悪かったらしいが、後日ニュースで、我々の到着した3時間後 の便(台北→成田の便だったが)が乱気流に巻き込まれてケガ人が出たとの知らせがあった。今回は最後まで気の抜けないツアーだった のだということを、改めて認識させられた(あまり関係ないけど)。
今回のお勧めリンク先
●上海ARK…http://www.ark-lh.com/
●Mahoo Shanghai(マフーシャンハイ:上海の観光案内サイト)
…http://www.mahooshanghai.com/
SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 花 | 無料ホームページ ライブチャット ブログ | |